地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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亀岡邸の設計に江川三郎八がかかわる⑬:福島の建築(12の2)

 「江川三郎八研究会」発信で確認できる福島での江川三郎八の仕事、その四例目が「藤橋」だ。
 江川三郎八技師が自伝「生ひ立ち野記」の一説をつぶやくという「江川三郎八bоt」というツイッターに「日清戦役も幸ひに我軍の大勝利に帰り、人々心から其の凱旋を喜ぶとき、珍しき難工事の藤橋も、同年九月に首尾よく完成を告げたり」のつぶやきがみえる。
 日清戦争の時期は、明治27年(1894)7月から明治28年(1895)3月にかけて行われた戦争だ。その我が国大勝利の凱旋を喜ぶのは明治28年(1895)のはずであり、珍しき難工事の藤橋完成がその年の9月ということだ。

「江川三郎八研究会」で、江川三郎八氏がかかわる藤橋を3代目と推定する根拠は、橋梁史年表で、この藤橋完成年代を照らし合わせで推論したように思われるので確認する。今回も「江川三郎八研究会」が江川氏がかかわった橋ではないが、明治5年末の5代目の橋だとする写真をお借りする。
a0087378_633308.jpg
 「橋梁史年表」では以下の藤橋が確認できる。流失しては再建することを繰り返していることが分かる。「珍しき難工事の藤橋」であったことも想像できる。

 「江川三郎八研究会」がいう3代橋は、ここでいう3代橋ではなさそうだ。
 この表の2代藤橋の特記事項を見ると、この橋が3回架け換えられていることが分かる。江川氏がかかわる藤橋は、その明治22年(1897)旧6月14日流失の後、明治35年(1902)旧8月27日までの間の明治28年(1895)9月に完成したことが想像できる。この表からは、その数え方では4代橋になり、それが明治35年(1902)旧8月流失のように読み取れるが、研究会資料では、3代橋で翌年の明治29年(1900)7月には流失しているということだ。
 写真は5代とあるが、この表で明治末に現存するのは3代と4代だ。この表からは、併存していた時期が読み取れる。併存の姿もないようなので、4代の姿だろうか。
 1代藤橋
 明治18年(1885)10月開通
 橋長(m): 109 幅員(m): 5.4 形式: 下部工
 2代藤橋
 明治20年(1895)10月開通
  橋長(m): 109 幅員(m): 5.5 形式: 木鉄混合トラス橋 下部工: 特記事項: 明治21年(1896)旧6月10日流失、明治22年(1897)旧6月14日流失,明治35年(1902)旧8月27日流失
 3代藤橋
 明治35年(1902)開通
  形式: 吊橋 下部工: 特記事項: 1913年流失
 4代藤橋
 明治36年(1903)11月開通
 橋長(m): 109 幅員(m): 5.4 形式: 木鉄混合トラス橋 下部工: 特記事項: 大正2年(1913)8月25日流失
 5代藤橋
 昭和2年(1927)10月25日開通
幅員(m): 道路 形式: 吊橋 鋼索 (RC橋?) 下部工: 特記事項: 昭和28年(1953)8月7日片門発電所ダムで水没 出典: 東京製綱株式会
 6代藤橋
 昭和28年(1958)8月7日開通
 橋長(m): 210 幅員(m): 5.9 形式: 下路連続ポニートラス橋 l=43+54.8+43 上部工 高田機工 RC連続桁橋 l=20.4+27+20.4 下部工: 下部工 西松建設 特記事項: 昭和60年(1985)11月9日架替え藤大橋 L=219 b=9.5+2.5 下路トラスドランガ-橋 l=1x175 単純プレートガーダーl=41.9 上部工 石川島播磨,高田,日本鋼管,松尾橋梁 ,三井造船
 7代藤橋
 Jan-16開通
  橋長(m): 116 幅員(m): 4.2 形式: 木鉄混合トラス橋 施工 太田幸松 下部工:

by shingen1948 | 2016-11-16 09:28 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)