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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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亀岡邸の設計に江川三郎八がかかわる⑪:福島の建築(12の2)

 「江川三郎八研究会」発信が確認できる福島での江川三郎八の仕事、その二例目が「河沼郡役所」だ。
 一例目の「須賀川橋」は発信内容が地元でも確認されていることが分かるが、こちらは、福島県側の地元が認知しているかどうかは分からない。岡山県側では、自伝を元にその確認を通して、その仕事の確からしさを固めていったという情報のようだ。
 その確認資料が「河沼郡案内」なので、国立国会図書館デジタルコレクションでその確認ができる。ここに、「(福島県河沼郡坂下町。現会津坂下町) 中町の南側にあり、明治31年(1898)の建築にして結構郡内第一の官衙なり北に面し東側に群会議事堂あり」とある。

 ここは、場所的には会津坂下宿を散策して「会津坂下宿街並み」として整理した公園の位置だ。
http://kazenoshin.exblog.jp/8813282/
a0087378_6244784.jpg その後、河沼郡にあたる地域を散策して、おおよその範囲を実感できた時に「河沼郡を意識する」で整理した郡役所だ。ただ、ここに江川三郎八の仕事がかかわるということは意識していない。
 http://kazenoshin.exblog.jp/16913823/
 ここでの整理では、この河沼郡役所が坂下町に設置されるのを、福島県での施行による行政区画として河沼郡が発足する明治12年(1879)として、この明治31年(1898)に建築されたという2代目の建物は意識していない。郡会廃止が大正12年(1923)だが郡役所は存続し、大正15年(1926)ということから、ずっと残っていた建物も明治31年(1898)に建築されたものなのだろうと思われる。
by shingen1948 | 2016-11-14 09:22 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)