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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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亀岡邸の設計に江川三郎八がかかわる⑦:福島の建築(12の2)

 今回の亀岡邸見学で頂いた資料の「三人の出会い」という項の中に、「明治31年度(1898)の県会に説明員として江川の名が記されている」という新たな江川三郎八氏情報を見つけた。
 探索者が三人の出会いのきっかけになりそうな事として、県会の資料を丹念に確認していく姿と、見つけた時の一人歓ぶ姿が目に浮かぶ。

 三人とは、亀岡邸の建て主である亀岡正元氏と設計の江川三郎八氏と大工の小笠原國太郎氏のことだ。その建主亀岡正元氏と設計の江川三郎八氏との出会いのきっかけとして推定されるとする情報だ。
 設計者と大工のかかわりについては、「当時の建築物は、設計と大工は阿吽の呼吸で造作が進められています」とし、両者が宮大工修行経験者であることに繋がりの想像の糸を求める。
 江川氏の修業が会津なら二人の技術的につながる可能性が高いとの推定も興味深い。

 江川三郎八氏経歴の出生にかかわる部分を確かめると、「旧会津藩士江川宗之進広伴の三男として、万延元年(1860)10月10日に生まれた。大工修行の後、明治20年(1887)に福島県雇、同24年(1891)には福島福島県技手となり……」とある。
 会津藩士の息子ということなら、会津での修行の可能性は高そうだ。
 必要性があるのかどうかは知らないが、会津藩士江川宗之進の会津情報はもう少し辿ることができる。
by shingen1948 | 2016-11-10 09:25 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)