地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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亀岡邸の設計に江川三郎八がかかわる③:福島の建築(12の2)

 「伊達市ホームページ」の「旧亀岡家住宅」紹介文からは、様々な記録や他例との比較から、その設計に福島県技術者江川三郎八の関与について推定したという経緯が読み取れる。

 頂いた資料には、その「様々な記録や他例との比較」の一例が紹介される。
 その資料の一つが「洋風農家かめおか」で、これは桑折町公民館長岡二氏の編集で、当時の亀岡産業支配人亀岡憲吾氏談をまとめた冊子なそうだ。
 確認はしていないが、そこに、この普請にあたった大工は福島市飯坂町の小笠原國太郎、設計は、本県最初の県会議事堂設計技師(氏名不詳調査中)が行ったとあるということだ。
 亀岡邸の設計に福島県技手が関与し、地元大工の小笠原國太郎が施工したことが推測できる一つの資料のようだ。
a0087378_8382922.jpg 「亀岡正元と旧亀岡家住宅展ポスター」裏面には、展示品紹介として「明治35年大木材木店の領収書」・「旧亀岡家住宅設計図」とともに、「明治36年大工棟梁小笠原国太郎からの領収書・末尾」の写真が掲載されている。
 ここから、地元大工の小笠原國太郎が施工の確からしさが確認できる。
 なお、材木仕入れの支払いは明治35年で、大工への支払いが明治36年であることからは、建設がその頃には済んでいるということが推定できそうだ。
 
 「伊達市ホームページ」の資料から建設年代にかかわる情報を拾う。
 それによると、亀岡家住宅の完成は明治35年だが、建築開始は明治16年とあり、20年という歳月をかけているとのことだ。しかも、そのうちの3年が基礎構築にかけているという。
 そして、亀岡家住宅の完成というのは付属建物も含めての期間で、亀岡家居住棟自体の完成は、一応明治28年とするもの、実際にはこの20年の間のどこかという感じになるようだ。
 このことから、案内板で示されたこの建物の建築年代「明治37年頃」というのは、その頃までには確実に建設されていたという意図なのだろうと読み取っておく。

 さて、これらの情報と福島県技手「江川三郎八」の情報が結びつくのは、本県最初の県会議事堂設計ということになるようだ。
 頂いた資料によると、最近の調査からこの設計技師が福島県技手「江川三郎八」であることが確認されたとある。
by shingen1948 | 2016-11-06 09:25 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)