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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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亀岡邸敷地跡を推定する④~福島の建築(12の2)

 自分には、いくつかの資料と照らし合わせないと亀岡邸敷地跡がイメージできなかったが、地元の方にとっては、それらは既知の事柄なのだと思う。
a0087378_6142756.jpg 恐らく、この勝手口に案内される旧亀岡家住宅の敷地図を見ただけで、旧桑折町伊達崎小和助地内の亀岡邸がイメージできるのだと思う。

 「亀岡邸敷地跡を推定する」の最後に、明治30年にこの亀岡邸を建てた亀岡正元氏について整理しておきい。なお、「桑折町政だより」によると、この邸を建てた亀岡正元家の体系だった資料は「桑折町史第7巻」に収録されているとのことだが、今回は伊達市文化資料館で頂いた資料の紹介を元にする。
 資料では亀岡家の出自から解説されるが、興味は何故財をなしたかということなので、そのあたりから整理する。

 この地方では、江戸時代から明治にかけて養蚕が盛んになり急速に富農・豪農層が形成さるという。この亀岡家も、江戸時代から「亀元」の屋号を掲げて「蚕種製造」を営み、財を成した豪農層の一つであったとのことだ。
a0087378_6471936.png 正元氏は、その亀岡家7代目源八郎の娘とちと8代目源治の長男金太郎の間に生まれた娘せいの婿養子ということのようだ。
 同じ様に亀岡家7代目源八郎の娘みよと結ばれた8代目源治の次男金四郎が9代目を継いでいるようなので、本家筋はそちらなのだろうと思う。
 その正元氏だが、家業は蚕種製造や農業・地主に加え、金融業も営み、次第に財をなしていったという。以下のような様々な村の役職についていて村の名士でもあったようだ。
 明治25年(1892)6月から21年間は伊達崎村村会議員となり、明治37年(1904)4月から8年間は村長を務めている。その間の明治29年3月から2年間と大正4年9月から4年間は県会議員にもなっているようだ。更に、明治36年(1903)から4年間と明治44年から5年間は群会議員もつとめていたという。
 なお、それらの一切の公務を辞してからは、居を東京都牛込地内に居を移し、金融業を営んでいたということだ。       (写真は「亀岡正元と旧亀岡家住宅展ポスター」より) 
by shingen1948 | 2016-11-03 09:13 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)