地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「新平家物語(吉川英治)」が描写する「信夫の里」⑧~「奥の細道」の描写とのイメージの重なり

 「新平家物語(吉川英治)」の「信夫の里」の描写では、
 「奥の細道」のイメージを大切にしつつ、物語の時代の風景に調整しているように思う。
 その意図は、義経と佐藤兄弟との出会いの場面の自然さを醸し出したかったからなのではないのかなと想像している。
 物語では、兄弟の母である尼と大鳥城で対面するのだが、これは初対面だ。しかし、出会うと直ぐに、その尼に導かれて隣の医王寺の御堂に籠ることになる。
 読者に義経を思う気持ちを自然なこととことととらえられるように、この尼の出自が頼朝とかかわる設定にされている。義経の母常盤も、頼朝とかかわる。この時代、このこの尼が義経を思うのには充分な繋がりであるとする。
 その尼に我が子の佐藤兄弟の何れかを従者するように依頼されるのだが、その場所が医王寺の御堂という設定だ。
 「奇縁と奇なる日」では、佐藤兄弟は「十綱の渡し」である「あけび綱の『籠渡し(かごわたし)』」で、義経一行を見送るのだが、この時点でほとんどの読者は、やがて、佐藤兄弟の何れもが義経の従者となるイメージを持っている。

 「奥の細道」では、
 義経と佐藤兄弟のかかわりを医王寺の場面に集約している。
 その事については、先に「医王寺と奥の細道」で整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/5553321/
 この中の現代の文に直した「奥の細道」の場面を再掲する。
 月の輪の渡しを越えて、瀬上という宿場町に出ました。佐藤庄治の旧跡は、左の山際1里半ばかりのところにあります。
 そこには飯塚の里、鯖野と聞いていたので、道を訪ね訪ね行くと、丸山の跡などがあり、地元の人の話すことを聞いて涙を流しました。
 また、直ぐそばの古寺には、佐藤庄治一族の石碑が残っていました。中でも二人の嫁(継信・忠信の妻)のしるしはあわれな話です。女ではあるが、かいがいしいふるまいにまた涙を流しました。
 寺に入ってお茶を飲むとここに義経の太刀・弁慶の背負った笈があり、寺の宝としています。
 笈も太刀も五月にかざれ帋幟(かみのぼり)
 この中の「二人の嫁(継信・忠信の妻)のしるし」のイメージは、実際には斉川宿の甲冑堂でないのかなと想像したことについては「斉川宿③~甲冑堂」で整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/8341623/

 「信夫の里」の描写を「奥の細道」が描く風景を重ねるように描くのは
 「十綱の渡し」で義経一行を見送った佐藤兄弟の将来の姿が「奥の細道」を通してイメージされるという構成になっているのではないのかなと思うのだが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2016-10-02 09:13 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)