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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「新平家物語(吉川英治)」が描写する「信夫の里」

 大河ドラマ視聴とのかかわりで、「新平家物語(吉川英治)」の部分読みをしたことがあった。この時に「信夫の里」が描写されているのを見たのだが、そのままになっていた。信夫の里が文学的に描写されることは少ないので、整理しておきたいと思う。

 信夫の里が描写される場面は、「みちのくの巻」の「継信・忠信」と「奇縁と奇なる日」の項だ。
「継信・忠信」の場面は、信夫荘郎党渡利猪太が大鳥城へ向かう途中に信夫の里が描写される。
 まずは白河の関付近が描写され、次の安達ケ原の描写があって、その途中の会話から信夫荘郎党渡利猪太が大鳥城へ向かう途中の描写であることが分かるという構成だ。
 その信夫の里付近は次のように描写される。
 松川、清水、鳥谷野の部落と駆けぬけ、彼の眷族(けんぞく)が住む渡利の里へ来たときは夜であった。
 ここでも馬を換えた。
 雑炊腹に温まって、しばし休み、また、信夫山のふもとを駆ける。摺上川の上流へ向かって急ぎに急いで行くのであった。そして、佐場野の医王寺の隣する一城郭、佐藤継信、忠信の住居へは、夜半すぎに着いた。

 「奇縁と奇なる日」では、義経と陵助重頼主従とその平泉への案内役吉次の弟吉六、吉内とその同勢一行が、松川宿から信夫の里に入る場面だ。
 午(ひる)まえに、伏拝(福島市)の河原をこえた。
 ふと、駒の背からのぞくと、その辺りを幾すじも落ちてゆく野川の水は、異様なほど、まっ藍(さお)に見える。
 「なぜか」
と、九郎は、また吉内を、振り向いた。
 「近くの里の家いえで、染藍(そめあい)を流しているせいでしょう」
 「お。信夫の里のもじ摺とは」
 「大昔から、この辺りの産物です。-都へ貢されていく布が、しのぶ文字摺とかいわれて、洒落者には、たいそう歓ばれるそうで」
 「見たことがある。忍ぶ草らしき模様を、藍で揉み染めにした布を」
すると、先に立ってゆく陵助が、急に、馬を止めた。
 「いずこの兵やら四、五十人、かなたに、備えているようだ。だれか、物見をして来い」
 人びとは、遠くへ眼をこらした。
 信夫山のすそを離れて、なるほど、一群の人馬が道を擁して、立ち並んでいる。
 結局は、佐藤継信・忠信兄弟が、ここまで義経を迎えに来たという設定になるのだが、それを次のような自己紹介で表現する。
 「当所、佐場野の藍坂に住む、荘司が後家の子ども、佐藤継信・忠信の兄弟にて候うが、母に代わって、おん迎えに参りました」
by shingen1948 | 2016-09-25 10:52 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)