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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫の里から東屋沼を意識する~田沢編の現地確認⑦

先の「信夫の里から東屋沼を意識する」のまとめとして、田沢村の遺跡分布に、吾妻山信仰とかかわる遺跡として、「貝沼」・「大宮神社」・「兎田」・「長秀院」、それに「種まき兎伝説発祥の地碑」をプロットした。
a0087378_1645294.jpg 今回は、その地図に長秀寺の旧地でもあり、田澤村開拓の祖といわれるという丹治屋敷あったという「石内」と、近くの「内」のつく地名をプロットした。
 また、先のプロットで、公園の印のようなものを「兎田公園」ととらえて「兎田」をプロットしたが、ひょっとすると山頂のガス施設かもしれないと思い直して、確実に「兎田」である位置にプロットし直した。
 本当は、田沢川と「石内」近くの貯水池もこの地の水源として記してみたかった。しかし、昭和50年と昭和40年代の航空写真を見比べると、肝心の「兎田」付近では、山沿いを走っていた田沢川を改変しているらしい。混乱したイメージになるのでやめた。

 田澤遺跡分布の図にこだわるのは、蓬莱団地と田沢村を連続的に意識したかったからだ。
 現時点では、蓬莱団地の縁に田澤村にあたる集落があるようにみえる。しかし、その見え方は逆で、蓬莱団地は田沢村の山を削って開発されたものだ。
 その田澤村開拓の祖といわれるのは、長秀院開基のかかわりでふれた石内の丹治氏といわれているようだ。
 その田澤村開村にかかわっては、「田澤町内会」のホームページ「田澤の歴史(その3)」に簡潔に整理されている。
 http://www.tazawa.jp.net/rekisi03.htm
 「明治の『村誌』では、天正10年(西暦1582)の頃、丹治但馬・同丹後・同縫殿助<石内の丹治庄衛氏の祖なり>、山間を開拓して耕地と為す、故に田沢と称すと言ふと述べている」とある。 更に、「内」附きの中世地名から、当村の開発はそれ以前にさかのぼるともある。今回の散策にかかわる「内」つきの地名をプロットしてみたのは、このこととのかかわりだ。

 なお、昨日整理では、丹治縫殿介が長秀院を建立開基の情報を確認したのだが、「福島の寺院明細帳」では、「田澤山長秀院」は、元和3年(1617)丹治庄兵衛創建とある。また、開山も慶安4年正月8日常光寺14世機山長全大和尚とあり、情報に多少の違いがある。
by shingen1948 | 2016-09-23 16:47 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)