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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫の里から東屋沼を意識する~田沢編の現地確認⑥

 本堂左手に不動堂が建つ。
 位置的に離れているが、長秀院鎮守「大聖不動明王縁起」がその案内だろうと思う。
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長秀院鎮守
 大聖不動明王縁起
 元和元年(1615)田沢石内の地に丹治縫殿之介という類稀なる篤信家ありて長秀院を建立開基となる。同3年清明町常光寺4世大和尚を御開山にお迎えし、仏法興隆を誓願す。
 惟時(このとき)長秀院守護を念じ、持仏不動明王を奉請し御堂を建立す。
 爾来、二度の大火に相遇(遭遇)するも、不動明王の加持力により尊堂は焼失を免れる。後世、不可思議な加護力を賛仰し、誰言うとなく火伏不動明王とお呼びし、霊験あらたかなお不動様として、人々の信心を集めている。
 火災消除 家内安全 商売繁盛
 交通安全 学業成就 厄除(厄年)開運
 酉年生まれ一代守り本尊
 大祭礼3月28日
 ご縁日毎月28日
 大聖不動明王奉賛会
 長秀院ホームページと照らし合わせると、「田澤山長秀院」は、元和3年(1617)11月12日、常光寺4世機山長全大和尚を「開山」に請して、曹洞宗寺院として開創される。
 それ以前、丹治縫殿介という方が帰依して結んだという「長秀庵(異称・長松庵)」があったという。それを、丹治縫殿介「長秀院を建立開基」と表現しているようだ。
 丹治縫殿介氏とは、天正年間に、現田沢・清水町の旧「田澤」村に入ったと言われる田澤村開拓の祖の丹治三兄弟の末弟にあたる方のようだ。この方が、元和元年(1615)石内の丹治屋敷に庵を建立して開山したとのことだ。
 従って、「持仏不動明王を奉請し御堂を建立」したのは、丹治縫殿介氏なのだろうと思われる。

 「二度の大火に相遇(遭遇)するも、不動明王の加持力により尊堂は焼失を免れる」とのことだが、長秀院ホームページで、そのうちの一度は弘化2年(1845年)の石内屋敷の大火であることが分かる。この時、不動堂を残してほぼ全焼したということだ。「火に包まれた鐘楼から、赤く灼熱した梵鐘がゴロゴロと下の田圃まで転がり落ちた」との古老口伝もあるのだとか。
 それで、先に記した嘉永元年(1848年)の現在地移転となるようだが、不動尊・不動堂は、その後も石内の旧境内地にあったようだ。それが、また火災にあい、明治33年(1900年)に現在地に移転されたという経緯のように読み取った。

 ここからは、「田澤山長秀院」の旧地石内は、田澤村開拓の祖丹治屋敷だったとの読み取りもできる。ここを中心に田澤村のイメージを広げるという見え方のヒントになっている。
by shingen1948 | 2016-09-22 09:19 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)