地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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曽良氏は入江野村中村氏をメモってる⑯

 「奥の細道」の芭蕉の随行者である曽良氏の日記の裏表紙にメモされた入江野村在住中村岡衛門氏は、「奥の細道」本文にも「曽良随行旅日記」にも登場しない。
 しかし、その前にメモされた福島郷野目村在住神尾庄衛門氏は、「奥の細道」本文ではふれられないが、「曽良随行旅日記」では5月1日に「福島に宿す」前にこのお宅に立ち寄ったことが記される。
 「奥の細道」では、5月1日に福島に宿すまでが「安積」の項だが、この日の最後に記されるのが八丁目から信夫郡で福島領であり、郷野目村は福島町より5、6丁手前である事。そして、その郷野目村の神尾氏を尋ねたが、その神尾氏は3月29日に江戸に参られて留守だった事や御内儀と母堂にあった事などが記される。
 その神尾氏を確認していくと、藩主堀田家とのかかわりが深い方であることが分かるので、福島藩の堀田氏も確認してみたということだ。
 芭蕉一行は、この日神尾氏宅を当てにしていたのだろうが、そこに宿することができずに福島で宿す。「曽良随行旅日記」によれば、日まだ少し残っている時間に着けたようで、宿もきれいだったようだ。

 その宿がきれいだったことは記されるが、それ以外の情報はい。
 しかし、「福島市ふれあい歴史館」の「文知摺観音と松尾芭蕉」のページでは、「元禄2(1689)年の春、松尾芭蕉は弟子の曾良と共に福島城下の宿に泊まりました。その宿は一説では現在の北町の松北園茶舗のあたりといわれています」と紹介される。
 http://www.city.fukushima.fukushima.jp/site/fureai/fureai03-12.html
 「福島市史」に、当時城下で旅籠屋があったのは北町付近であり、明治期、地元の俳人達は、同町内にある石橋「翁橋」を芭蕉ゆかりの史跡として注目していたとされる情報とかかわるのだろうと想像する。
 散歩では、その石橋「翁橋」については確認できていない。
by shingen1948 | 2016-09-15 17:56 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)