地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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曽良氏は入江野村中村氏をメモってる⑫

 神尾図書と神尾主馬とのかかわりや帰農のことについては、国立国会図書館デジタルコレクション「加賀藩史稿」で確認した。
 今回、加賀藩家臣団の一人「神尾之直」の項での確認で、この方の次男之政氏が、福島の「神尾図書」の情報と重なるらしいことが分かった。

 実は、この加賀藩家臣団の一人「神尾之直」については、先に「神尾図書」でのネット検索で確認できていたのだ。
 「加賀前田家家臣団」というページで、この方の幼名が五郎八で、図書と称したということで、検索にかかっていたようなのだ。ただ、この方が福島の「神尾図書」とつながっているとは思わず、まったくのは別人情報だと勝手に思い込んで捨てていた情報なのだ。
 http://www.geocities.jp/huckbeinboxer/maeda.html
 再確認すると、次のように紹介されている。
 神尾之直 (1565〜1643年 79歳没)
 堀田安休の子で、神尾甚右衛門の養子になった。五郎八、図書、宗是。
 加賀前田家家老9000石だが、初め3000石で利長に仕えていた。
 天正13年の佐々家との合戦に参加する。慶長5年8月8日、大聖寺城を出て三堂山城に布陣。利長の隠居に従い、高岡城に移る。
 同じ家老職の横山長知と不和になり、家中は両者の対立のため二分するほどだったという。前田利長はこれを解消するため、遺戒として両家に婚姻を命じている。慶長18年10月、利長から自らの病状を記した書状を送られる。大坂の陣にも参戦する。
 後に2000石で隠居する。
 元和5年、病により京に移る。
 寛永18年に、信州松本城主堀田正盛に仕える。松本城代5000石。
 寛永20年、79歳で没。法名「一峯宗是」
 福島の「神尾図書」が堀田氏に仕えるのは、父である神尾之直氏が、寛永18年に松本城代5000石で信州松本城主堀田正盛に仕えたこととのかかわりかなと思う。
 そんな風に、今では神尾之直氏と福島の「神尾図書」氏が連続的に見えている。なお、「加賀前田家家臣団」のページではこの情報が省略されている。
 福島の「神尾図書」の部分を再掲する。
その(神尾之直の)長子秀直、次子之政、之政図書と称す。正盛の子上の介正信に事へ。老臣と為る。正信封を除かるるに及ひて。處士と為り。暫休と号し美濃に住す。後正信の族筑前主正茂及に下総守正仲に歴事し。二千三百石を食む。元禄8年。正仲の封邑陸奥福島に終はる。其子主馬の時に至り。嗣を絶つ。
 次の関心事は、福島の神尾図書が2300石の堀田氏重臣であったにも関わらず、その子「神尾主馬」時代に帰農してしまう事情の推測だ。
by shingen1948 | 2016-09-10 13:43 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)