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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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曽良氏は入江野村中村氏をメモってる⑨

 「加賀藩史稿」は、国立国会図書館デジタルコレクションで確認することができる。
 地域の散歩をし始めた頃、情報の資料には古文書等が羅列されていることに圧倒されて萎縮することが多かった。それが、単なる地域散歩情報を得る目的程度なら、ネットの検索で確認できるというのはありがたい。
 「神尾之直」の項の後半に、次のような記載が確認できる。
 その(神尾之直の)長子秀直、次子之政、之政図書と称す。正盛の子上の介正信に事へ。老臣と為る。正信封を除かるるに及ひて。處士と為り。暫休と号し美濃に住す。後正信の族筑前主正茂及に下総守正仲に歴事し。二千三百石を食む。元禄8年。正仲の封邑陸奥福島に終はる。其子主馬の時に至り。嗣を絶つ
 これで、加賀藩家臣団の一人「神尾之直」の次男之政氏が、福島の「神尾図書」の情報と重なるらしいことが分かる。ここに登場する「正盛」・「正信」・「正仲」は堀田氏だ。
 父の「神尾之直」氏がかかわった堀田正盛公が3代将軍家光公の死に殉死して、その遺領を相続したのが「正信」公で、「正仲」公が福島初代藩主というかかわりのようだ。
 まず、没年や「正仲の封邑陸奥福島に終はる」は、福島の「神尾図書」の情報と重なることの確認だ。
 次に、2300石の重臣であったことと「神尾主馬」が其子であるというのは、新たな情報となる。
 更に、その主馬の時に嗣を絶ったということが、福島での言い伝えの記録での確認ということになるのだろうか。
by shingen1948 | 2016-09-06 09:05 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)