地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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曽良氏は入江野村中村氏をメモってる⑧

 「ふくしまの歴史(近世)」では、堀田氏の家臣側の視点からの情報から神尾氏に迫っている。
 堀田氏が山形から福島へ移る経緯が解説された後、「神尾家については、佐倉堀田家文書『年寄部屋日記』の中に神尾図書や神尾主馬の名前が記録されていますが、詳しいことは分かっていません」とする。
 具体的には神尾図書は元禄2年3月・4月の条に、神尾主馬が同3年4月の条にその名がみえるようだ。
 この事と昨日整理の天保9年の尾形家情報を結び付け、神尾五左衛門に尾形家の家督を譲って帰農したという情報との関連性をにおわせる。
a0087378_192567.jpg この写真の右手が宝勝寺(仁井田)の墓地に残る神尾図書ご夫婦の墓だが、この神尾図書については、次のような紹介をしている。
 神尾図書は、堀田家の重要な役職(家老格)で、元禄8年(1695)に病死している。葬儀には、堀田藩家老の狩林孫右衛門などの重臣が参列し、藩主堀田正虎も香典として銀5枚(3両あまり)を送ったと記録されています。
 「佐倉堀田家文書」については、「福島市史資料叢書【福島市史編纂委員会)」に収録されていて、確認は容易にできるようになっている。それでも、神尾図書と神尾主馬とのかかわりや帰農の事実は確認できなかった。
 それが、最近出版された書物に、加賀藩史稿で確認ができるという情報があるのを見た。確かに「神尾之直」の項で確認ができた。
by shingen1948 | 2016-09-04 19:05 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)