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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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曽良氏は入江野村中村氏をメモってる⑦

 よそ者の散歩人にとって、最初に感じる不自然さは「奥の細道」では郷野目村の神尾氏だが、地域の資料では郷野目村の尾形氏を確認することになることだ。
 これを確認するのには、堀田氏の家老だった神尾氏の帰農についての確認が必要になるようだ。
 まずは、郷野目村尾形氏側の資料を確認する。
 「すぎのめ5号」と「すぎのめ16号」の「芭蕉が訪ねた神尾氏をさぐる(尾形兵作)」に、このことにかかわる言い伝えが紹介されている。
 郷野目の尾形家は方木田の辻乃内の尾形家から郷野目の菅野(かんの)家に婿養子に入った。その時の約束で以来、姓は尾形を名乗ること、ただし定紋は菅野(かんの)の定紋を用いることを条件とした
 これは、本来「神尾(かみお)」家とあるべきものが「菅野(かんの)」家と誤って伝えられているらしい。ここの「菅野(かんの)」家とある部分を「神尾(かみお)」家と読み替えると、事実になるようだ。
 なお、方木田の辻乃内の尾形家については、「方木田散歩」でふれた尾形家のことのようだ。

 この事にかかわる記録として残るのが、郷野目の尾形家三代宗右衛門が天保9年に記したという家宝「相撲軍配扇」の箱書きのようだ。その出だしに「五百石の百姓なり。堀田相模守の家中神尾又右衛門へ家督致す。本家尾形庄右衛門、同庄吉は兄弟なり」とあるということのようだ。
 「福島市史」では、この記録から、尾形家は禄高500石の家柄で、堀田時代に神尾五左衛門に家督を譲って帰農したことを示すものだとし、芭蕉一行が訪ねた郷野目村神尾氏は、この五左衛門に符号するとしているようだ。
by shingen1948 | 2016-09-03 09:22 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)