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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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曽良氏は入江野村中村氏をメモってる⑥

 「曽良随行日記」の「八町の目より信夫郡にて福島領也」は、今風に言えば、松川の八丁目宿から信夫郡で、福島藩領だということ。一行は、福島町から五、六丁手前の郷野目村で神尾氏を尋ねる。
 その郷野目村を「奥の細道」を意識して何度も散策してはいるのだが、ここに整理するのは控えていたところがある。
 情報の整理があやふやということだけでなく、そこに個人的なお宅もかかわるということがある。それで、気軽に整理するというわけにもいかないなと思うところがあったのだ。
 今回、少し整理してみようと思ったのは、この個人的にかかわるお宅周辺の風景が激変したからだ。以前の風景の写真を使いさえすれば整理できそうだと思ったのだ。
a0087378_16313662.jpg この写真は、震災の2日前に撮ったものだ。一行が尋ねたという福島町から五、六丁手前の郷野目村神尾氏宅は、この門構えの家ではなかったかと想定する説が有力なのだと思う。
 この門は現在撤去されているが、「すぎのめ6号」と「すぎのめ16号」に掲げられる「郷野目の尾形家の伝承から(尾形良吉)」にこの門の由来が紹介されている。
 それによると、秋田藩主佐竹公が、参勤交代の時、荒川(須川)や大森川(荒川)が増水で渡ることができなくなって、にわかに尾形家に宿舎を設けることになった。その時に、門構えの造作をしたのだということだ。急ごしらえで、柱は古材使用のようだが、門の扉は欅材の立派なものなそうで、現在も保存されているようだ。

 元禄2年(1689)の芭蕉一行が訪れた時の風景とのかかわりだが、今のところよく分からない。
 佐竹公が突然家康公に国替えを命ぜられるのは、慶長7年(1602)で、江戸幕府が参勤交代を制度化するのが寛永12年(1635)なので、この門構えの風景であった可能性もある。しかし、この出来事の時期が特定されないと分からない。この風景は、それ以降の風景だったという可能性もある。
by shingen1948 | 2016-09-02 16:36 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)