地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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曽良氏は入江野村中村氏をメモってる③

 芭蕉一行が信夫の里に入るのは5月1日だ。
 翌5月2日、福島宿で朝を迎えた一行は、「岡部の渡し」で阿武隈川を越え文知摺観音を尋ねる。そこから、「月の輪の渡し」で再び阿武隈川を船で渡り、瀬上宿を横切り鯖野の里に向かう。
 その行程について、「奥の細道」本文では「飯塚の里鯖野と聞て尋ね尋ね行に、丸山と云に尋あたる。是、庄司が旧館也」とする。
 芭蕉一行は、信夫の里からの道中、人に道を聞きながら大鳥城跡の丸山(館山)に行って、その足で麓の医王寺を訪ねたことになる。
 曽良氏の「随行日記」では、「瀬ノ上ヨリ佐場野(鯖野)ヘ行。佐藤庄司ノ寺有」を記す。

 今回整理したいのは、「曽良氏は入江野村中村氏をメモってる」ことが、この瀬上宿を横切り鯖野の里へ入る具体的な道筋推定にかかわる可能性について想像することだ。
 この道筋の定説については、先に散策で整理しているところだが、簡単に整理し直す。

 「奥の細道臨地研究(県教育センター)」資料によれば、古地図や古石碑等をもとにすると次の4つとそのバリエーションが想定されるとのことだ。
 ①瀬上―下飯坂―小川―上飯坂―鯖野―医王寺
 ②瀬上―下飯坂―高梨―平田―鯖野―医王寺
 ③瀬上―下飯坂―高梨―小川―上飯坂―鯖野―医王寺
 ④瀬上―下飯坂―高梨―飯塚六角―星の宮―五郎兵衛館(上飯坂)―鯖野―医王寺

 要は、古道の道筋のどこから小川の河岸段丘の道筋に入るかということだが、参考にさせていただいている地域の散策資料の多くは「瀬上―下飯坂―高梨」までは古道の道筋をたどり、そこから先が微妙に違うのだが、その後「星の宮」を経由して五郎兵衛館(上飯坂)―鯖野―医王寺へ至るという道筋を想定しているように思う。
 このことに詳しい平野地区の古山氏が、児童用に解説する資料では、「福島―岡部渡しー山口(信夫文知摺)―瀬上―上高梨―平田―平塚―鯖野(医王寺)―丸山(舘の山・大鳥城跡)―飯坂温泉(泊)」とする。そのうちの「平田―平塚―鯖野(医王寺)」が平野地区内だと強調する。
a0087378_9573595.jpg 「平塚」とあるのは、先の④でいう「飯塚六角」のことかなと思いきや、その図示されたものを確認すれば、「上高梨」からこの高石仏板碑群の脇道を抜けて「八景」を経由して「星の宮」に向かうとしている。半沢氏の「歴史地図」も、ほぼ同じような道筋を想定しているようだ。
by shingen1948 | 2016-08-28 09:59 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)