地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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平野村道路元標設置場所跡を探す⑧

 平野村道路元標設置場所跡を探す散策を通して、現在「堂ノ前」付近の地域がどんな風に見えているのかをまとめておく。
a0087378_9581570.png 紺色の線は、平塚村と入江野村の村界線だ。おおよそ間違いないかなという確からしさの部分は実線とし、曖昧だと思う部分は点線にしてみた。
 推測にかかわるのが緑線と赤線。
 緑線は、小字界の資料から推定した線で、赤線は現在の地域割りに伴う線だ。これを補助資料とし、実際の散策の経験と航空写真などの資料を通して補正してみた。これに伴って、明神様境内の空間が感じられるようになった。この神社の南縁が村界になっていることが分かる。

 ここに新たに「飯坂街道」が通るまで、ここをそれほど主要な道筋が通っていなかった。それは、ここが村界であることからも明らかだ。
 その中でも、この地域にとっては比較的主要な道筋はどこだったのかということを探るのに、昭和27年の航空写真を参考にした。
 昭和27年の航空写真では、平塚村の中心と思われる現「東六角」から平野選果場前を通る道筋はすでに主要な道筋になっている。しかし、「平野の伝承とくらし」によれば、昔はこの道筋は集落の縁の線で、ここから南側には民家はなかったというその境界線だったという。
 それで注目した道筋が、大和田方面からの道筋だ。
 現在は選果場の脇に真っ直ぐに伸びる道筋だが、昭和27年の航空写真では、途中から二つに分かれ、その一本は現病院脇付近を通り、明神様と観音堂を結ぶ道筋につながっている。もう一本は、神社の一本西の大きな民家の正面の道筋につながっている。その民家の正面から西に向かい、南に下って観音堂に向かう道筋もはっきり写っているように見える。その北側は集落になっているらしい様子が伺える。飯坂街道と共に、それらこの地区では主要な道筋とおもわれるものを濃茶で示してみた。
 入江野村側から明神様に向かう道筋も濃茶で示してみたが、入江野村の中心「角屋敷」とのかかわりかなと思う。

 もっと限定的に「堂ノ前16」という狭い範囲を眺めると、現平野駅東側一部が「堂ノ前17」で、航空写真に緑地境に見える部分から南に「堂ノ前11」があり、その他が「堂ノ前16」とかかわるらしいことが推測される。
 飯坂街道から、その中心となるらしい地点まで道筋が延びている。そこから、点線の濃茶の点線で結んでみたのは、昔、この道筋は明神様に抜けることができたとの話があったからだ。
by shingen1948 | 2016-08-22 10:09 | Comments(0)