地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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平野村道路元標設置場所跡を探す③~平野村役場跡推定

a0087378_9375636.jpg  ここは、平野公民館分館と地区の人々が村役場と称していた平野支所があったところだ。自分が、この地区に住んでいた頃には平野郵便局は現在地にあったのだが、「平野の伝承とくらし」によれば、ここの飯坂街道を挟んだ向かい側にあったということだ。
 明神町商店街の見取り図によれば、この支所公民館側の飯坂街道沿いには、昭和15年から昭和20年までは営業していたが昭和60年から平成3年の間頃には廃業てしまっていた「まるみや食品店」という商店と平成3年頃までは営業していた「井村や菓子店」があったようだ。その飯坂街道を挟んだ向かい側に葬儀屋さんがあって、その北側が平野郵便局という配置だったというのだ。

 それで、平野村道路元標設置場所跡は「堂ノ前」らしいとの情報を得ていたのだが、明治22年(1889)に平野村が誕生した時点で村役場が置かれたのは、この公民館分館と支所の地点なのだろうと思っていたのだ。
 しかし、「福島県の道路元標(小泉)」によれば、平野村創設当時、平野村役場は、大字平塚字堂ノ前16-8の現農協の北側の民家の地点にあったとのことなのだ。
 ならば、その移転の可能性としては、昭和30年(1955)に飯坂町・平野村・中野村が伊達郡湯野町・東湯野村・茂庭村と合併して、村役場が飯坂町の支所となった時点かなとも思った。
 しかし、「平野の伝承とくらし」の情報を加味すれば、昭和15年時点では、明神町の公民館支所跡に村役場はあったように読み取れる。
 そのあたりが曖昧なままだ。
by shingen1948 | 2016-08-16 09:42 | Comments(0)