平野村道路元標設置場所跡を探す①~平塚村と入江野村の村界推定
2016年 08月 14日
前々から平野村道路元標設置場所跡を探しているのだが、分からないままだ。結論は分からないということなのだが、試みた事はいくつかある。今回は、それを整理しておく。
平野村の誕生は、明治22年(1889)4月1日だ。平塚村・入江野村・伊佐野村が合併したて平野村となる。その平野村になって後、次のような経緯をたどる。
昭和30年(1955)3月31日に飯坂町・平野村・中野村が伊達郡湯野町・東湯野村・茂庭村と合併する。これにより、平野村は飯坂町の一部となる。その飯坂町も、昭和39年(1964)1月1日に福島市に編入され、福島市の飯坂地区の一部となる。
その平野村が誕生して、村役場ができ道路元標が設置されたはずなのだが、その道路元標の現物もなければ、設置された位置も分からないという状況だ。ただ、「小字堂前」に設置されたと思われる資料はある。
この「小字堂前」は、平野村が誕生するのに合併した「平塚村」と「入江野村」との村界線が絡む旧「平塚村」に属する地域であることも確認できる。
まずは、そのあたりから確認していこうかと思う。
黄緑線は、現在の地区割に基づいて現在の「平塚村」と「入江野村」との村界を推定したものだ。赤線が、小字をもとにして、道筋とのかかわりから推定した「平塚村」と「入江野村」との村界だ。
紫の文字で現在の字名を記している。この中の「字堂ノ前」地区が、道路元標設置位置推定にかかわる。
この時点での飯坂街道だが、恐らく開通したばかりの時期だろうと推測される。
先に、「万世大路~現在の飯坂街道」で整理したように、明治14年に万世大路開通が開通し、北沢又の三差路から新たに飯坂方面への道路が開通するのが、明治16、17年頃ということだ。従って、平野村誕生の準備時期と重なり、平野村が誕生した明治22年には既にこの道筋は存在したという事になるようだ。
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