福島の鉱山38~信夫地方の鉱山⑪「大笹生鉱山」③
2016年 08月 06日
また、新たにカテゴリー「福島の鉱山」を設けて、整理の見通しがついたものからそちらに分類し直していく。
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「ふくしまの歴史」では、「大笹生鉱山」がこの地区では歴史的に重要な鉱山であったことを、資料を通して紹介される。
前回はその時代別資料紹介を整理したが、他に大笹生字中寺の大福寺過去帳と上大笹生金山絵図(年代不詳)も紹介される。
「大福寺過去帳」には、延宝5年(1677)~享保6年(1721)に亡くなった銀山関係者15人が記録されているという。
その出身地について、この中の最上や米沢出身が6人いることや堀田家の家来も含まれているということも紹介される。また、阿波国の山で亡くなった兄、信濃国の石切、宇都宮の大工の父等渡りの坑夫らしき人や大工も葬られていることも紹介される。
先の散歩とのかかわりで気になるのは、この近くで廃寺になった「安養寺」資料は紹介されていない事で、ないのか未調査なのかということだ。
「上大笹生金山絵図」そのものの紹介はないが、羽田川より北に銀山5か所、銅山1か所が描かれていることが紹介される。
空間的な広がりとして紹介されるのはこれだけだ。
「羽田川より北」の空間という漠然とした情報からは、先に整理した「台山鉱山」や「丸山鉱山」も「大笹生鉱山」の範疇に含むのかどうかが気になるところだ。
また、「福島の鉱山」で、この大笹生鉱山紹介とかかわって、大笹生の袖ケ沢には大正2年富田要之助氏が着手した「袖ケ澤鉱山」という金銀銅山紹介とのかかわりも気になるところ。ここは、「袖ケ澤」の地名から、板谷大橋付近の沢が架かる辺りをイメージしているのだが、ここからは結構遠い。
空間的な広がりとしての紹介は少ないのだが、もう一つの手がかりにできるのは地名だ。それで、 「福島の小字」で大笹生村の小字を確認してみた。
気になるのは、山中なのに結構小分けにされた小字が連なる所があることだ。
地図と照らし合わせると、それが小字銀山と小字台山に挟まれた現大笹生ダムを含む八反田川沿いの空間のようであることが分かる。
八反田川は「小字笹ノ口」から「小字金山」「水抜神」と「小字山神前」の間、「小字久佐屋敷」と「小字返シ町」の間、「小字銀山」と「小字石尊」の間を流れているのだろうと想像する。
「小字神ノ裏」の神は「白和瀬神社」とのかかわりだろうか。