福島の鉱山31~信夫地方の鉱山④~富保金山推定位置の修正②
2016年 07月 23日
その位置については、前回に整理したことと重なるのだが、こちらでは「事務所を岡山村字宮沢の東北に置く」という紹介が付け加わる。しかも、鉱床がほぼ南北に貫く数条の鉱脈からなるのだが、特に重要なのは事務所付近の数条であることが紹介される。これが「岡山坑」とかかわるのだろうと推測する。
地質図の「富保金山」とある南側の池の脇を通る道筋の西側に二つの建物が描かれるのだが、この辺りが事務所なのかなと想像する。先の岡島字瀬戸沢の位置情報は、ここを指しているのかもしれないと思う。
その沿革について、次のように紹介される。
本鉱床は昭和4年高山某氏の発見に係り、一時盛んに採掘製錬せられたるも、昭和14年春火災によりて中断し、同年7月株式会社鐵興社の手に帰し、再び採掘を開始せられたるも、下部の状況良好ならず、本年4月遂にその業を休むに至れり。本年とは、昭和15年だろうかと思う。
この地図には、「高子金山」も描かれているが、「脳病院」「羽山」の位置との関係、国道の道筋とのかかわりなどから、こちらもほぼ推定があっていたように思う。
なお、この資料では「蛍石」と「亜鉛鉱」に焦点化されているのだが、その事については、次のように紹介されている。
然れども(休山にはなったが)、鉱石の一部はなお坑内及び坑外に残存し、之を観察するにその大部分は普通の淺成金鉱脈に過ぎざれども、その一部分に蛍石を伴なひ、或は多量の放射繊維状硫化亜鉛鉱より成る累被層を挟み、それらの点にて宮城県細倉鉱山にて嘗て産せる鉛亜鉛鉱に類し、普通の金鉱脈とは趣を異にす。加ふるに、前記の亜鉛鉱の外、水飴色粒状暗褐色板状及至粒状のもの等、数種の硫化亜鉛鉱を産し、特筆に値するものあり。
依って筆者は去る6月中本鉱山を調査の上、それら数種の標本を得、観察の結果を記載することとせり。
本調査中富保鉱山職員多々良良、塙正両氏は種々の便宜を與へられたり。