地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島に創設された「私立のローマ字学校」

 「私立のローマ字学校」が創設されたのが鉱山跡で、その創設を探ることによって分かる「福島の鉱山」の情報があるということで「福島の鉱山」のカテゴリーの中で取り扱ってきた。
 しかし、「私立のローマ字学校」がここ福島に創立されていたという事でも整理しておきたいと思えてきた。それで、今回から「福島に創設された『私立のローマ字学校』」というカテゴリーを独立させる。

 ローマ字学校創設者は、戦争孤児を引き取り養育していく中で、その子供の教育と言語研究とを両立させるという念願があった。軍人援護会東京支部から戦争孤児の紹介を得て、その教育を行う場探して福島にやってくる。
 福島の地を選択するきっかけは、ローマ字学者の友人佐伯功介氏に福島県知事石井政一氏を紹介されたことのようだ。
 その石井氏のご厚意で、中野字東横川のw氏の蚕小屋が紹介された。しかし、その段取りが済んで東京に戻ったのだが、東京大空襲によって軍人援護会東京支部が焼失し、孤児名簿も焼失してしまっていたということのようだ。この大空襲が昭和20年3月10日だ。
 その4月には、創設者ご夫婦は、約束通り中野字東横川の蚕小屋に居を構えて、中野村国民学校杉の平分教所助教としてやってきた。蚕小屋は、戦争孤児との生活と教育の場を想定していたようだ。
 
 中野字東横川のw氏は地区の学務委員で、分教所に先生を探して来るというのもその一つの仕事だったようだ。空いていた蚕小屋を貸すことを条件に、創設者を中野村国民学校杉の平分教所助教として確保したということのようだ。
 しかし、この年の8月15日に敗戦となって、w氏は戦時中休止していた養蚕を再び始める計画を立て蚕小屋が貸せなくなる。
 それで、創設者は、更に山奥の鉱山跡に福島県の戦災孤児も引き取り、引っ越すことになったということだ。これが、青葉学園の茂庭村蛇体創設物語につながり、中野鉱山跡への移動の整理につながる。

 「私立のローマ字学校」は、昭和23年10月にはそこから大平の俎山に移動することになる。その地点は、大笹生大平集落に通じる通称「赤岩道」が菱川と出会う地点とのことだ。
 この移動は中野鉱山の操業再開に伴う移転ということなので、ここまでが、「福島の鉱山」の整理とかかわっているということだ。
by shingen1948 | 2016-06-20 11:40 | Comments(0)