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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の鉱山⑨ー「福島に創設された私立のローマ字学校0」

 青葉学園創設者ご夫婦が、約束通り中野字東横川にやってきて、中野村国民学校杉の平分教所助教の奉職につくわけだが、散歩写真を確認したら、この辺りを1012年3月にママチャリを引きながら散歩していたようだ。
 この時の散歩写真を確認すると、飯坂方面から国道13号線バイパスに抜けて、橋本大明神などを確認しながら、円部集落を散策し、この山神社までやってきたようだ。ただ、この散歩の時点では、青葉学園創設者ご夫婦が福島に落ち着かれた最初の地という事は頭にはなかった。
a0087378_1252345.jpg 今回の整理で確認できたのは、この杉の平の山神の後ろの川沿いにある道筋が、創設者の通勤路だったらしいということだ。この道筋の右手の国道を横切って先に進むと、創設者ご夫婦とお子さん等が住んだという中野字東横川の蚕小屋があるようだ。
 その反対に、この神社の後ろの道筋を左手に下っていくと、杉の平集落や分教所があるようだ。青葉学園創設者は、蚕小屋から杉の平分教所まで通勤していたということになるのだろう。

 もし、東京空襲や敗戦というハプニングが無ければ、この蚕小屋に私立のローマ字学校が創設されることになったのかというと、そううまくはいかない事情もあったようだ。
 児童福祉施設の認可は可能なようだが、私立学校の設立条件に合わないようだ。
 周りの学校から4㎞以上離れていることが私立学校の設立条件にあるようで、杉の平分教所との距離が問題になるようだ。少なくとも、杉の平分教所の教員をしながら私立学校の創設を目指すということには無理があるようだ。
 それらの情報を確かめると、蛇体での生活は冬には成立しなくなるという厳しい所ではあったようだが、蛇体への移動はタイミング的に踏ん切り時だったということではあったということのようだ。
by shingen1948 | 2016-06-18 13:24 | Comments(0)