地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~信夫山の魅力と聖性の維持⑳

 「信夫山巡り【梅宮茂】」では、「羽黒山北西の字三条院付近に金山があって昭和8年4月から大日本工業KK福島鉱山があった」と解説される。それで、金山跡がプロットされる散歩地図を頼りに散策したのだが、その時点では、ここに金山の跡をイメージすることはできていなかったと思う。
 金山跡とのことなのだが、それは坑道跡ということなのか、精錬所跡ということなのか、運搬にかかわる施設ということなのかという具体的な情報を持ち合わせていなかったのだ。

 少なくともここに事務所があったということがわかるのは「福島の鉱山」の次の紹介を見つけてからだ。
 「(福島鉱山は、)福島市街の北に聳える信夫山の西半部に属し、主として北側から開発され、事務所を羽黒山の北麓、福島より凡そ3㎞の地点に置いた」
 これで、あちこちに見られる建造物の跡自体をこの事務所跡とみてもよさそうだと思えたのだ。
a0087378_7112491.jpg あらためて撮り溜めた写真を確認すると、明らかな建物跡というものの他に、その全体はつかめないものの明らかに人工的な施設跡と思われるものも確認できる。

 この位置を地図で確認すると、昨日整理の白土を採掘した跡あたりの真下であることが分かる。
信夫山の金山探索は、このあたりから西に向かってすすめられたのだろうと推定するのは、「福島の鉱山」の次の一文だ。
 昭和20年地下工場の予定地として鉱区の西部を掘進中、肉眼鉱に会したとさえ伝えられるがその後発展を見ていない。
 ここは、先に「信夫三山⑰ ~ 羽山⑬」で整理した信夫山金竜抗の坑道を活用して作られたという地下工場跡なのだろうと思う。ならば、位置情報としては、こちらが鉱区の西部ということになるということだ。
 http://kazenoshin.exblog.jp/10377554/

 その信夫山の金山探索の経緯を「福島の鉱山」で確認する。
 本金山は明治の初め半田鉱山主、五代友厚氏の探鉱に始まり、同30~40年には飯坂町武田某氏により探鉱されたが成功せず、昭和8年には石川氏、同11年からは大日鉱業によって、上下数段の坑道を穿たれ高品位部は採掘もされ昭和16年売鉱含金1708gに達したが昭和18年の整備に会い、同20年地下工場の予定地として鉱区の西部を掘進中、肉眼鉱に会したとさえ伝えられるがその後発展を見ていない。現在はカオリンの良質部を稼行している。
 先に整理した半田鉱山の五代友厚氏が探鉱したのがその始まりとしているようだ。しかし、その事業化はうまくいかなかったようだ。信夫山が金山として歴史を刻むのは昭和8年の石川氏あたりから、昭和11年から昭和18年までの大日鉱業による採掘という辺りらしいことが分かる。昭和18年の整備に会いというのが、昭和20年からの地下工場計画らしいことが伺える。
by shingen1948 | 2016-05-31 09:59 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)