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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~信夫山の魅力と聖性の維持⑲

 「福島の鉱山」では、信夫山を「福島鉱山」として説明される。その鉱床についての説明を確認すると、以下の三点が要点と読み取れる。
 〇 鉱床は広範囲に亘ってこれを貫く多くの石英及び粘土脈からなる。
 〇 ((鉱床は、)主として羽黒神社から立石に至る山頂の北西斜面に発達し、主としてN40°w及びN60°wの2方向に交わり
 〇 (鉱床は、)いずれも縞状石英を主として一部葉状の仮像に富み、白色粘土に硫化物の黒色斑点を含む場合は金銀に富むが、他は比較的品位低く、その大部分は脈巾も0.5mを超えない。
 そして、「現在はカオリンの良質部を稼行している」とある。
a0087378_4382451.jpg 素人目には、この白土を採掘した跡あたりが、その原点なのではないかと読み取れるような気がしてくる。
 このあたりについては、先に「信夫三山27 ~ 白土山」として整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/10534994/
 【福島民友(明治41/12/27)】の記事をもとに、主として「福島焼き」にかかわって以下の要点を整理した。
 記事によれば、この白土は元々農家の土蔵の白壁として使用していたものとのこと。それを、若松工業の成分分析によって、薄手の皿物に適することが確認されたという。その分析にもとづいて、明治44年には福島製陶所が設立され、この土を使った「福島焼き」が生産されていたとのことだ。
 その白土採掘が進み、野天堀の白土山には、巨大な洞窟ができていたということだった。しかし、この工場は10年ほどで閉鎖したとのことだ。その後も、米つき用、壁土用として細々と採掘されていたが、昭和初年には廃業し、洞窟は、戦後に破壊して埋め立てられたということだった。

 これが「福島の鉱山」の「現在はカオリンの良質部を稼行している」という記載と重なる部分だろうとの推測だ。
 注目は三番目の要点に「この白土粘土の硫化物の黒色斑点を含む場合は金銀に富む」とあることだ。ここは野天であり、この発見が金山を探索する原点でもあったのではないかとの推測が成立するように思うのだが、どうだろうか。
by shingen1948 | 2016-05-29 09:34 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)