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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~信夫山の魅力と聖性の維持⑰

 地質学的な事は知らないが、感覚的に「石に宿る神の力」の感じ方として、石ケ森の岩場が信夫山の立石山の岩場とつながっているというイメージを持つ。

 最初に「石に宿る神の力」の感じ方の一つに、年代の立った古石が人力の及ばない地中深くまでつきささっているというイメージがあることを知ったのは、「ゆの村(秋山)」の「太子堂応安の碑」紹介だ。この碑は、高さ1.6m、南無阿弥陀仏と刻まれ、その左下に応安2年(1369)とある碑だが、いくら掘っても同じ幅で石が地中深くまで続いているということだった。
a0087378_15384083.jpg 信夫山とかかわりのある石で同じようなイメージで語られるのが、清合内前供養塔。
 「のりしろ散歩~米沢街道附近~「藤権現碑」と「弁慶の御山隠し」②」で整理したこの石も、いくら掘っても同じ幅で石が地中に深く続き、年代を経った古石なのだそうだ。
 http://kazenoshin.exblog.jp/19568482/ 
 「福島市市史資料叢書」では、この石を「立石」と呼称し、別名「お山かくし岩」だとする新聞記事を紹介している。
 「立石のヤクをはらう」野田町下八島田~集落30軒でお祭り【福島民報(昭和31.4.22)夕刊】という記事だ。「立石のうしろに座ると信夫山がかげにかくれるというので一名『お山かくし岩』といわれ、奇妙なことにいくら掘っても同じ幅で石が地中に深く続き、年代を経った古石である」との紹介だ。
 ただ、現実的には、この石は旧米沢街道筋とされる新道の北側の道筋に建っていたのだが、現在は米沢街道の新道沿いに移されている。しかも、コンクリートの上にのっているということではある。

 この石の神秘さはもう一つあって、別名「弁慶の御山隠し」とも呼称されるその由来は、「野田村郷土史」によれば、「弁慶がこの碑の陰に休んで御山を拝もうとしたが見えなかったので、この名が出たと伝えられる」とのことだ。大きな信夫山が、この岩陰に隠れてしまうということを神秘的に感じていることが分かる。理性的な事を先に教わってしまった我々には、この神秘さを感じる力を見失っている。

 これらのイメージにも影響を受けて、石ケ森の岩場の石と信夫山の立石山の岩場は、この人力の及ばない地中深くまでつきささっているのだが、その地中深くでつながっているというようなイメージ感覚を持ったように思う。
by shingen1948 | 2016-05-25 15:37 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)