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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~信夫山の魅力と聖性の維持⑭

 北坂口登攀路(丸子口)から登攀は、古峰神社を経由して立石山に直進した後、立石山の山頂から熊野山に向かう熊野峠道を経由して、北参道あるいは裏参道と呼称される道筋を経由して、羽黒山へ向かったのだろうと思われる。
信夫山散歩情報の確かめ~信夫山の魅力と聖性の維持⑭_a0087378_5553198.jpg いくつかの資料を重ね合わせると、その立石山の山頂から熊野山に向かう山道が、熊野峠道と呼称される道筋だと思われる。ここから羽黒山への道筋が、北参道あるいは裏参道と呼称される道筋らしい。
 この立石山→熊野峠→羽黒神社の道筋もまた、古くからの参道らしいことについては、先に「信夫三山⑲ ~ 熊野山②」で整理している
 http://kazenoshin.exblog.jp/10390825/ 
 「信夫山の魅力と聖性の維持」の観点からは、半沢氏がこの道筋が鎌田の熊野→石ケ森→と続くことに着目して「古代峯越の熊野の古道」と紹介していることと重ねたい。

 以前の旧北坂口登攀路は三条院口であったとのことだが、その登攀路は「信夫山巡り【梅宮茂】」では次のように解説される。熊野山へ直進する登攀路だったように思われる。
 先達三条院は早く廃れたので詳しいことは不明である。羽黒山の北西に字三条院があり、遺跡も定かでない。金山があって昭和8年4月から大日本工業KK福島鉱山があった。
 三条院付近には、三日月石、馬石、早坂屋敷近くに二十三夜石などの拝み石があり、48石の一つである。山道は斜行して熊野峠の三熊野山をめぐり、北坂にでて羽黒山の北参道に至る。早坂屋敷は、羽黒山西の真下にあって、早くから山伏村を脱して帰農した人家である。羽黒山祭礼の楽人が多かった。羽黒山に直進する参道があり、急坂であるので這いながら登るので古くは這坂といったという。
 三条院口は詳しくは不明だとするが、字三条院は先達三条院とのかかわりが推定され、昭和8年4月から大日本工業KK福島鉱山があった付近の金山あたりであることが読み取れる。また、羽黒山西の真下にあった早坂屋敷から羽黒山に直進する這坂という急坂の参道があったことも読み取れる。

 熊野山頂の様子については「信夫三山⑱ ~ 熊野山」で整理したが、その案内板にある解説のうち、「鎌田の方から登る熊野道の峠で熊野峠といい遥かに金華山を遥拝したことから金華山ともよばれている。」という部分が、半沢氏の「古代峯越の熊野の古道」との紹介と今回整理の北坂口登攀路(丸子口)からの登攀と重なり、「昔、御山や丸子部落の人たちは、つつじ咲く頃に馳走を持参して春日を楽しむ行事をもったという」部分が、北坂口登攀路(丸子口)からの登攀以前の旧北坂口登攀路が三条院口であった時代も含まれているということが分かる。
 http://kazenoshin.exblog.jp/10384174/
by shingen1948 | 2016-05-22 09:54 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)