地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~信夫山の魅力と聖性の維持⑭

 半沢氏の「歴史地図」の立石の項で、破壊された2例を解説する。そのうちの一つは、道祖神として信仰されていたという倍々石(べべいし)・却之己石(へのこいし=高さ5尺) という男根・女陰に似た二つの奇岩ということだが、筆者の実証的な態度の方として理解できる。
 確認してみたかったのは、もう一方の猫石の方だ。こちらは、人々が恐れ抱いていた巨岩とのことだが、実証科学的な態度と合わないのは、恐れおののく感性への共感だ。それほど、強く畏敬の念を感じる岩を想像する試みをしてみたことがあった。
 あまりうまくいったとは思えない。確からしさという点でも全く根拠がない。ただ、自分の感性には大きく働いていることを感じているのも確かだ。今までなら、整理することはなくそのままにしておいただろうと思うが、今回は整理してみる。

 確認したいのは、猫石の特徴は、その形と共に、真っ赤な血のように見える鉄分を含む赤石が猫石の咽喉の辺りにあったということだが、興味深いのはその「真っ赤な血のように見える鉄分を含む赤石」だ。これが信夫山の岩質と同じなら、信夫山の他の場所でも同じ岩質の石があってもおかしくないのではないかなと思ったのだ。
 まずは、基礎知識として信夫山の岩質にかかわることを探る。
 最近は、信夫山の岩石は、主に堆積岩と凝灰岩でできていると解説されるようだが、明治時代頃は、主として流紋岩でできていると解説されていたのではないかなと思われる。それは「岩代国信夫山の所謂流紋岩に就きて【地学雑誌(Vol. 25 (1913)】」という資料からの類推。
 ここでは、多くの地質図では流紋岩とするが、岩屋観音の化石を含む水平の層である岩質と共存できるのは、この山全体がむしろ凝灰岩であることなのではないかという考察で、流紋岩からなるというのは疑わしいとしている。
 ただ、信夫山の凝灰岩の多くは、流紋岩質角礫凝灰岩ではあるらしい【東北表日本低地帯における新発見の“中 新世前・中期緑色凝灰岩相”群に関する 地質学的意義について(谷口政碩・谷正巳・阿部智彦)】
a0087378_9514549.jpg 次が、先に羽黒権現行場として整理した岩場は流紋岩だという資料の確認。
 地質にも詳しくはないので資料に頼るしかないのだが、先日「信夫山ガイドセンター通信」に、「羽黒神社の参道は一面が珪化作用によってできた流紋岩で、赤玉石のような鉄石英でできているそうだ」とある。
 赤玉石は、長石の結晶体のはずなので、素人にはそうたやすくは見つけられるものではないのだと思う。しかし、「赤玉石のような鉄石英でできている」という表現から、素人がここで見つけた岩の赤い部分を鉄分の影響とみるという程度の判断はしてもよさそうに思うのだ。
 猫石の赤は「真っ赤な血のように見える鉄分を含む赤石」という程度だ。ならば、羽黒神社の参道の赤石の存在と結び付けてもよさそうという程度の確からしさで、「猫石」の赤をここから想像してもよいのかなと思っているということだ。
 写真を確認すると、実際に散策したのは震災前の2010年7月8日のようだ。
by shingen1948 | 2016-05-20 09:52 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)