人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

信夫山散歩情報の確かめ~信夫山の魅力と聖性の維持⑬

 半沢氏の「歴史地図」では、「立石の巨岩」の項で「立石峰は、巨岩が林立するので、こう呼ばれた」と解説する。実証科学的な態度の方のようなので、そうではないかもしれないが、勝手に林立する巨岩全体に「神がつくった立石」という概念を重ねて感じていないかなと想像してみている。
 この項では、次のように松川護岸工事に伴って破壊された巨岩2例を解説する。こちらも畏敬の念を感じる岩だったのではないかなと想像する。ただ、その岩のあった位置は今のところ曖昧だ。
 このやや北方下方丸子地内の三条院に倍々石(べべいし)・却之己石(へのこいし=高さ5尺
) という男根・女陰に似た二つの奇岩があって、道祖神として信仰されてきたが、明治30年に松川護岸用として破壊された。
 また、この西方には猫に似た猫石という巨岩もあったが、これもまた大正6~7年に松川護岸用として壊された。この石は鉄分を含んだ赤い石であったので猫石の咽喉の辺りが真っ赤な血のように見えて人々は恐れをなしたという。【信夫郡丸子村(香内佐一郎)】
 道祖神として信仰されたという倍々石(べべいし)・却之己石(へのこいし=高さ5尺) という男根・女陰に似た二つの奇岩があったのは、「(立石の)やや北方下方丸子地内の三条院」とのことだが、「三条院」は北坂口登攀路(丸子口)の南方で、旧北坂口登攀路(三条院口)との間を推測することになる。
a0087378_140781.jpg 散歩の目印としては、北坂口登攀路(丸子口)から南方に進み、左手上方に進む新興住宅地の道筋を進むと、「三条院」という呼称がついた公園がある。この辺りだと思うが、ここが「「(立石の)やや北方下方」ではないところが気になるところだ。
 逆に、三条院にこだわらずに「(立石の)やや北方下方丸子地内」ということなら、北坂口登攀路(丸子口)の北側ということになり、その西方に「猫石という巨岩」があったというふうに読み取れることになる。
 この場合、「みんなの知らない信夫山(浦部博)」に「五十辺口の参道にあった」と解説されていることに近くなるが、それでも位置的には曖昧なままだ。
 なお、こちらの資料では「五十辺口の参道にあった猫石は、工事で破壊した時に赤い血が流れたんだそうだ、そして、人夫が三人も死んじまった。祟り石だ」とされる。こちらの物語だけでは実感がわかないが、ここに半沢氏の資料にある「猫石の咽喉の辺りが真っ赤な血のように見え」る鉄分を含む赤石だったということと照らし合わせると、祟り石と恐れられたという物語に迫力が増した想像になるように感じる。
by shingen1948 | 2016-05-18 14:02 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)