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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~信夫山の魅力と聖性の維持⑦

 古峯神社から少し上ったところで、一周道路と交わるのだが、そこを越えると岩山を見ながらその山頂を目指すことになる。この巨岩群に圧倒される。
a0087378_17295393.jpg 古峯神社で聖性を感じたことの理由の一つは、昨日整理したように「祈りの情報を得ることで、そこに宿る魂のようなものを感じることができた」ということがある。
 この巨岩群に圧倒された時に、もう一つの理由を感じている。それが、古峯神社は、この圧倒された巨岩群に囲まれたて存在するということだ。

 先の古峯神社から立石山に向かうあたりの整理では、この巨岩群に圧倒されたように感じたことについて少し混乱があったように思う。
 先の整理では、この切り立った巨石が連なり、丸子口から登拝する人の修行場であったことと結び付けて、その困難性の克服とのかかわりでその聖性を感じたとしている。信夫山一番の行場であったとされる羽黒権現行場が、観光のために破壊されたということなので、ここにその行場の原点として、行場=困難性の克服というイメージでその聖性を整理したのだと思う。
 確かにそれも感じたのだが、今回振り返ってみれば、岩山そのものにも畏敬の念を強く感じていたようにおもうのだ。先の整理では、そのことが抜けていたと思うのだ。

 この時に撮った写真を確認すれば詳細にその心持が確認できるはずだと思って探しているが、その元になる写真は今のところ見つからない。
 安物のデジカメなので、自分が思い描いた写真が撮れてはいない。それを期待しているのではない。自分の本当に取りたかった写真とのギャップのもどかしさというものが鮮明に思い出すことができるはずなのだ。
 整理に使った写真は、整理する時点での思いで修正している。この時点で写真を撮った時の心持と違ってしまつていると、別物の写真になってしまうのだ。

 今の時点で、岩山そのものにも畏敬の念を強く感じたことについて整理しておく。
 「立石」という呼称からは、人工的なものの可能性もないわけではないとも思うが、今のところは、立石山の岩は自然の力でそこにあるのだと思っている。
 恐らく、自分は、その自然の力に霊的なものを感じていたのだと思う。もっと素直にいえば、岩が林立していることに圧倒されて、岩自体に神が宿っているというふうな感じだったような気もする。
by shingen1948 | 2016-05-11 17:40 | Comments(0)