地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~信夫山の魅力と聖性の維持④

 今回、この蔵造の建物が、信達坂東5番札所「馬頭観音」ではないかということを確認するのは、三条院先達廃絶後代わって北坂口先達となった北坂口登攀路(丸子口)先達大覚院の情報の確からしさを高めたいとの思いからだ。
a0087378_1622696.jpg ここに写る蔵造の建物が、半沢氏の「歴史地図」にプロットされる信達坂東5番札所「馬頭観音」で、その右手に写る民家の位置が「福島市丸子字東前39番地」の「法院大覚院」の位置と思われる。この写真の道筋が突き当ったところが「福島市丸子字東前40番地」の大地鎮神社鎮座地だ。
 ここで信達坂東5番札所とされるのは、信達坂東三十三観音5番札所大覚院馬頭観音のことだと思われる。
 実際に信達坂東三十三観音巡りをなされる方のページを確認すると、この蔵造の建物が5番札所大覚院の馬頭観音堂と説明されている。情報の確からしを増すのには、実際に訪ねて確認すればいいのだろうが、小心者なのでそこまではできない。

 半沢氏の「歴史地図」では、この「馬頭観音」はこの東側の柳原にあった馬頭観音を移動したものと解説される。その柳原の位置だが、信達坂東4番札所正福寺の「権兵衛観音」と信達坂東6番札所鎌秀院の「聖観音」の丁度中間あたりだ。そこから移動されたということにも説得力を感じる。

 この近くの信達坂東三十三観音とのかかわりを確認すると、3番札所が観音寺(福島市岩谷)で、4番札所が正福寺(福島市本内舘)。そして、5番札所がここ大覚院(福島市丸子東前39)、6番札所が鎌秀院(福島市鎌田古舘)、7番札所が旧養福院(福島市矢野目)で、現在は真浄院に合併されているという。更に、8番札所がまたしても鎌秀院(福島市鎌田古舘)ということのようだ。
 これらを眺めていて、柳原の「馬頭観音」が移動するのは、法院大覚院とのかかわりかなとの想像が浮かぶ。
 今回の整理とはかかわらないが、6番札所と8番札所が同じ鎌秀院(福島市鎌田古舘) であることが気になる。

 今までのこの辺りの散策とのかかわりを確認しておく。
 まず、7番札所養福院(福島市矢野目)だが、こちらについては北矢野目の散歩で、「北矢野目城④」として整理している。
http://kazenoshin.exblog.jp/8304002/
 次に鎌秀院だが、ここに散歩で立ち寄ってはいるのだが、ここの観音堂が6番札所であることについてはふれていない。整理しているのは、一つは「鎌田城」としての整理。
 http://kazenoshin.exblog.jp/7989181/
 もう一つは、「寛延農民一揆~寛延三義民猪俣源七」としての整理だ。
 http://kazenoshin.exblog.jp/8055428/
 更に正福寺についてだが、こちらも散歩で立ち寄っているが、ここも4番札所としては整理していない。整理したのは、一つは東屋沼信仰とのかかわりで、「信夫の里から東屋沼を意識する②」として整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/20575488/
 もう一つは、「本内館」としての整理だ。
 http://kazenoshin.exblog.jp/8048059/
by shingen1948 | 2016-05-08 10:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)