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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~信夫山の魅力と聖性の維持③

 「信夫山めぐり【梅宮茂著】」によれば、北坂口登攀路(丸子口)先達は、大覚院のことだ。
 この丸子先達大覚院について、次のように紹介される。
 松川の北岸丸子の東前に山伏大宝院がある。三条院先達廃絶後、代わって北坂口先達となった。後に丸子本村に移った湯殿山一世行者で、明治初年出羽湯殿山某寺の大日如来を還して本尊とし、近時大日堂を新設した。
 まだ確認は曖昧なままなのだが、現況では丸子東前とかかわるように思われるのは山伏大覚院のままのように思っている。ここは、先に「台畑(南矢野目)周辺を歩く⑰~大地鎮神社」でふれて整理しているが、その観点が別なので整理し直すことにする。
 http://kazenoshin.exblog.jp/17679129/
 大地鎮神社とのかかわりでみれば、この大地鎮神社の鎮座地が「福島市丸子字東前40番地」だ。その上「大地鎮神社御由緒」の案内板には次のように、大覚院住職が奉納した地だと紹介されている。
 「(前略)名主が社殿を建立して鎮守堅寧地神宮と称え奉らんと官に勧進するも許可されなかった為、当地大覚院住職が社地を奉納して再び請願したところ速やかに許可され、宝暦5年乙亥歳(1755)に社殿が建立されたという(後略)」
 ということは、この大地鎮神社の鎮座地「福島市丸子字東前40番地」も元々は大覚院境内だったということになる。
 ここに、半沢氏の「歴史地図」の「東地区の歴史上の人物」の項の情報を重ねる。
a0087378_4134586.jpg 地図上では、「大地鎮神社(地鎮社)」の北に「大覚院」がプロットされる。
 この写真奥左手が「大地鎮神社」で、右手の石塔が並ぶ奥が「大覚院」がプロットされるあたりだ。地図上では、福島市丸子字東前39番地あたりだ。先の整理では、この右手がかかわりのない民家の可能性もあるなとの遠慮があってふれなかった。
 今回は、とりあえず純粋に半沢氏の「歴史地図」がプロットする「法院大覚院」の位置情報としてこの写真を貼り付けた。「歴史地図」には以下のメモが記されるが、その愛宕社の傍らというのがここだと想像している。
 阿部清光
 信夫山の修験
 三條院の後裔
 三條院や大開を開拓後、慶安2年(1649)に愛宕社の傍らに大覚院を創設
 ここで紹介される方が「湯殿山一世行者で、明治初年出羽湯殿山某寺の大日如来を還して本尊とし、近時大日堂を新設した」方ということではないのかなという想像だ。
by shingen1948 | 2016-05-07 09:07 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)