人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

信夫山散歩情報の確かめ~羽黒権現23

 気になってはいるのだが、住民としては新参者である者がふれていいのかどうかがわからないのが、黒沼神社にかかわる言い伝えがこの羽黒権現と重なっている部分だ。
 ちょっと気が引けるところもあるので、「信夫山めぐり【梅宮茂著】」の見え方の推定ということにとどめて確認してみる。

 「福島県神社明細帳」では、この祭神が「沼中倉大玉敷命」で、その由緒勧請不詳とあり、明治2年12月に羽黒神社と改称し、縣社黒沼神社の境外摂社となったとされているという。
 この祭神「沼中倉大玉敷命」は30代敏達天皇のことで、その母が黒沼神社の祭神「皇后石姫命」とされる。異説もあるようだが、古来の縁起では、石姫皇后が太子渟中太命と共に謀反して道奥に下り、石姫を黒沼神社に渟中太を羽黒権現にまつったとするとのことだ。
 ただ、この石姫皇后が縁起にみえる初見が貞享5年(1688)福島藩主堀田正仲の「羽黒山華表建立記」で、当社を移転したとされる「仙台青葉山羽黒権現」の縁起書にはこの石姫渟中太命に関する伝承はなく祭神「稲倉魂神」とあることが紹介される。
 言及はしていないが、ニュアンス的に、この言い伝えは福島藩主堀田正仲時代からであると考えているように思わせる。
 更に、「信夫山は山伏村」の項から「六供と宮人」の項にかけて、著名な神仏混淆の社寺との関連を考察する中で、「当山は、江戸中期の領主堀田領の頃に、石姫伝説に附会して、都から供奏した六家と説明されるようになり、いっそう山伏村の口伝が消えた」として、山伏村の口伝の伝承にマイナスだったとの表現をしている。

 羽黒大権現の情報で、このこととかかわるのは明治初頭の神仏分離令で真浄院に移された羽黒神社の御神体だ。先の整理で、これを渟中倉太珠敷命の聖観音像だと表現した。
 「羽黒神社の御神体」との表現は「羽黒神社」の立場の表現で、「羽黒大権現」としては、本地仏「渟中倉太珠敷命の聖観音像」ということになるということについては、先に整理している。
 今回の整理とかかわるのは「渟中倉太珠敷命の聖観音像」のイメージだ。
 「渟中倉太珠敷命」のイメージが重なるのは貞享5年(1688)福島藩主堀田正仲の「羽黒山華表建立記」からとのことなのだから、それ以前のイメージとしては、純粋に本地仏「聖観音像」だったのだろうと推測されるということだ。
 そのまま「羽黒神社」になれば、「仙台青葉山羽黒権現」同様にその御祭神は「稲倉魂神」になったのではないかという事なのだろうと思うのだ。
by shingen1948 | 2016-04-30 18:45 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)