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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~羽黒権現22

 小さなことで気になっているのが、信夫山羽黒権現別当寺寂光寺の宗派だ。信夫山の三の平鳥居跡前の案内板では、真言宗と案内される。しかし、「信夫山めぐり【梅宮茂著】」では、天台宗だとし、次のように解説する。
 (青葉山寂光寺は)信夫山の山伏の総督で後世天台系の本山派に属し、山上、中腹、山麓にかけて多くの山伏坊・衆徒を擁していた。
 別項で、その宗派が真言宗に改変されるのは真浄院が代行する時点だと解説される。
 その本院は、仙台青葉山寂光寺であるとするので、そちらの資料として「封内風土記」を確認すると、こちらも真言宗とする。
 在城北。真言宗。京都仁和寺末寺。傳云信夫郡福島一里東北。羽黒権現別富(当)。而慈覚大師開基也。後陽成帝。慶長五年十月。同郡宮代之役。現住僧名不傳。及中興開祖慶印上人。興上杉諸将戦而有功。是以慶長七年。護持権現神體(体)。到仙臺。賜地住移焉。有中興開祖慶印上人之墓。今日之行人塚。
 ただ、この「封内風土記」という資料は明治26年の出版なので、その原点を記していないとも考えられる。また、想像でしかないが、仙台青葉山寂光寺を合併したとされる「宝林山弥勒院」が真言宗智山派であったとされることとのかかわりが影響されたのかもしれないとも思う。
 といのは、その開基は而慈覚大師とあるのだ。宗派にこだわれば、このことは天台宗だったということのような気もするのだ。
 而慈覚大師は、一般的には「平安時代随一の学僧で、名は円仁。嘉祥7年(854)に天台座主となり貞観8年(866)には天皇より慈覚大師の大師号を日本で初めて賜った方」とされているらしいのだ。

 「信夫山めぐり【梅宮茂著】」が、天台宗ではないかとこだわるのは、その創設が、慈覚大師の東国巡礼の旅に出て(天長6年(829)~天長9年(832))、天台の教学を広く伝播させたこととのかかわり、あるいは、伊達郡の霊山寺を意識されているのかなと想像される。
 東北で慈覚大師が開祖(または中興)とされる寺を確認すると、伊達郡の霊山寺、松島の瑞巌寺、山形市の立石寺、岩手県平泉町の中尊寺、毛超寺、秋田県象潟町の蚶満寺、青森県恐山の円通寺等がある。山形では、柏山寺や千歳山・万松寺、南陽市二色根の薬師寺など10を越える寺が慈覚大師開祖だとしているとのことだ。
by shingen1948 | 2016-04-29 09:11 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)