信夫山散歩情報の確かめ~羽黒権現⑫
2016年 04月 14日
先の整理では、その確認が曖昧だったのだが、「信夫の里の札所巡り【梅宮茂著】」に、その疑義についてのやや詳しい解説を見つけた。
札所3番の「羽黒山観世音」についての解説ページに、コラム形式で次のように紹介されていたのだ。
札所3番はどこかある本にというのが「信夫山めぐり【梅宮茂著】」で、その「札所3番は清明町の真浄院だと書いた」のが、次の部分だろう。再掲する。
ある本に札所3番は清明町の真浄院だと書いて混乱したことがある。
信夫山の羽黒権現の別当山伏寂光寺(天台)が仙台に移り廃寺になった時、真浄院 (真言)が代理をやったのは事実で、明治の廃仏毀釈の時、本地仏、仏具、銅鐘、仁王門まで真浄院のものとなった。今、真浄院にある観世音(古くは千手観音)は羽黒権現の本地仏であって、札所観音ではない。
安洞院の「信達百番巡礼簿」の第9番に真浄院持ちの札所がある。「御山権現御坂馬頭観音」とある。羽黒神社の下の「名月の句碑」の後に「馬頭観音」の小祠があった。蚕神として、馬神としての信仰が厚かったが、今はない。
梅翁閑話
…(前略)…、近年まで馬頭観音堂があり、本尊は馬鳴菩薩に似ているので養蚕農家の信仰が厚かった。文化4年編成の信達百番巡礼札所で、本尊は真浄院にある。これを誤って真浄院観音が札所三番と称するが古伝ではない。「今、真浄院にある観世音(古くは千手観音)は羽黒権現の本地仏であって、札所観音ではない」という部分が、先に整理した「真浄院は、『信夫新西国三十三観音霊場』では『札所二番』であることは分かるが、その本尊は「千手観世音菩薩」のようで、馬鳴菩薩に似た馬頭観音ではなさそうだ」としたこととかかわるのだろうと想像する。