地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~羽黒権現⑧

 注連掛石の上方には、二本の突き出た岩盤があったとのことだが、これが俗に仁王石といわれていたのだとか。「信夫山めぐり【梅宮茂著】」によれば、その仁王石を越したところが仁王平という平場になり、ここに参道いっぱいに構えた寄棟造り単層の仁王門があったとする。
 「一統志」に「馬頭観音の南にあり、世人禍を逃れんことを祈り大なる草履・草鞋を奉るなり」とあることから、元々、暁参りの大わらじは羽黒権現へ奉るのではなく、仁王尊に献ずるのが起源であったと紹介する。また、草履・草鞋が掲げられるのは門だけでなく、参道の杉並木にも掲げられたとのことだ。

 その仁王門跡には、案内板が建つ。
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 この写真も平成21年(2009)9月の散策時に撮ったものだ。
 ふるさとの良さを見つけよう
 <史跡>仁王門跡
 羽黒神社の仁王門が建っていたのはこのあたりで、いつのころからかこのわずかな土地を仁王門平とよぶようになった。
 明治2年(1869)神仏混淆が禁じられて神社の境内に仏堂があるのがいけないとして取り壊されてしまった。
 信夫山のわらじ奉納はもともとこの仁王門に納められたのがはじまりである。明治以前の人たちは、羽黒神社にお参りのたびごとにこの仁王門棟を拝んで通った。その仁王様も福島の甚兵衛火事(明治14年)で焼けてしまった。
  福島信夫ライオンズクラブ
 「信夫山めぐり【梅宮茂著】」の情報によると、取り壊された仁王門の建物は御山村小学校校舎となり、仁王像は真浄院に移されたとのことだ。その真浄院に移された仁王像が明治14年の甚兵衛火事で焼失したということのようだ。
 また、仁王門跡には近年まで礎石があって仁王門の位置を具体的にイメージできたとのことだが、戦後の観光行政のための行場岩ダイナマイト破壊の際に、これもまた取り除かれたとのことだ。
 なお、今回使用の写真の散策時に登り始めた七曲り坂の手前の公園になっているところが、仁王門の建物が利用されたという御山村小学校跡地だ。
by shingen1948 | 2016-04-10 08:30 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)