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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~羽黒権現⑥

 「信夫山めぐり【梅宮茂著】」の「その29三の鳥居跡・結界場」についての確認をしてきた。
 次は、その「結界場」とのかかわりから「三 羽黒山結界内」の項の解説についての確認をする。
辞書的には、「結界場」自体に「最も神聖な聖域」の意があるようだが、ここでは「最も神聖な聖域」を「結界内」と表現し、その聖域の外と内の境界を「結界場」と表現されているように読み取れる。
 なお、昨日の整理で、二十三夜塔のある位置と「結界杉」とのかかわりが不明としたところだが、この項の解説と梅宮氏が描いた絵で、この二十三夜塔のある位置に「結界杉」があったことが分かった。
a0087378_5573497.jpg この写真も平成21年(2009)9月の散策時のもの。三の鳥居跡の階段から岩場の参道になる辺りを写したつもりだ。
 写真の奥に仁王門跡の案内板が写っているが、その辺りまでは歩行もできないほどの奇石怪石が重なる山内第一の難所だったとのことだ。修験者は、このような処を行所・行場として六根清浄を唱え、錫杖をならして岩石によじ登り、法螺貝を吹き最多角念珠をもみ呪文を唱えたということだ。
 仁王門の前には、大正末期までは注連縄がかけてあった注連掛石があったのだという。いくつかに割れた方形の大石で、その上方には二本の突き出た岩盤があったという。 
 これらの行場岩は、明治初年まで存在したが、大わらじ奉納が巨大化してから割られたのだという。
 更に、戦後には、観光行政のためにこれらの行場岩はダイナマイトで一切破壊してしまったのだとか。観光は、神にも勝る。恐るべし。
by shingen1948 | 2016-04-09 08:56 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)