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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~羽黒権現⑤

 前回は、「信夫山めぐり【梅宮茂著】」から「その29三の鳥居跡・結界場」についての情報を確認した。その確認した情報にかかわりそうな写真を探す。今は信夫山散策をしていないので、撮り溜めた信夫散策写真の中から、この「三の鳥居跡」付近の写真を探し出して整理しておこうかと思う。
 見つけたのが、平成21年(2009)9月に七曲り坂から羽黒山旧参道に入り、羽黒神社を経由して、熊野神社跡へ向かった散策時の写真だ。
a0087378_18301193.jpg これが「信夫山めぐり【梅宮茂著】」がいう「三の平」辺りを参道から撮ったもの。左手に写っているのが「一之宮稲荷社」で、この南側に「わらじ掛杉」があったということかな。右手奥の建物が「山王者」で、手前が「三宝荒神社」だ。石段の奥が岩場で、「信夫山めぐり」がいう「三の鳥居の上は山中最難所と言われる岩盤が露出する険阻な坂で、最も神聖な聖域とされた」岩場なのだと思う。
a0087378_183222.jpg その石段の右手に、石の「寂光寺跡への案内板」と「鎌倉の板碑」が建つ。
 この「鎌倉の板碑」について、「信夫山めぐり【梅宮茂著】」では、「山王社の向、結界杉の根元に大黒天など二・三の石塔があり、このうち文政8年の二十三夜塔の下部に「弘安」の二文字が逆に見える。草書体で種子は見えないが鎌倉時代の板碑の断片を転用したもので、寂光寺墓地にあったと伝え、別説に念仏橋碑と共に、甘粕の弘安板碑と共にあったとも伝える」と解説する。
 気になるのが「山王社の向、結界杉の根元」とあること。この二十三夜塔のある位置に「結界杉」があったということなのか、一宮の背後の「わらじ掛杉」が「結界杉」で、そこからこちらに移動になったということなのか、今のところ分かっていない。
by shingen1948 | 2016-04-08 18:33 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)