地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

信夫山散歩情報の確かめ~羽黒権現②

 信夫山の羽黒権現の風景の変遷は、次の3つの段階がイメージされる。
 最初が、別当寺である青葉山寂光寺の境内に羽黒権現が存在していたという風景。
 次に、伊達政宗公と共に、寂光寺に伴って羽黒権現も仙台城下町に移ってしまったので、分霊を勧請し、新たに「羽黒権現」を建立された時代の風景。この時には、信夫山には羽黒権現のみが存在していたということになる。
 そして、羽黒神社になって現在につながる風景。羽黒権現が明治政府の神仏分離令による廃仏毀釈の難に遭って破棄され、羽黒神社としての体裁を整えてから現在に至るまでの風景だ。

 散歩人としては、少なくとも信夫山に羽黒権現が残っていた時代の風景を想像してみたくなるのだが、「羽黒権現」を確かめた時、その風景の想像を助けてくれる情報を得ていた。
 それが、「笹野観音」で、ここでは、明治政府の神仏分離令による廃仏毀釈の難に遭った時に、羽黒大権現を残すことができたとのことなのだ。
 まずは、「笹野観音」のホームページで、その残されたという「羽黒大権現」の仏様を確かめる
 http://sasanokannon.com/gohonzon_info.html#haguro
 ここでは、笹野観音の「羽黒大権現」は、旧笹野村の鎮守の神として、笹野の地を守護すると紹介され、その勧進についての変遷が解説される。その紹介写真には、本地仏聖観音が納まっているのだろうと想像される御翠簾が降ろされた社と、その脇に、藩主奥方が奉納されたとする神鏡が写る。
 信夫山の破棄された羽黒権現の本地仏である観音像は、現在真浄院に遷座されているという。こちらは、「こもかぶり観音像」と言われているとのことだが、「笹野観音」の風景との共通点は、そのお姿は御翠簾でお隠れになっているということのように思う。

 「笹野観音」では、今も羽黒大権現は同じお堂にお祀りできているということだが、それができたのは、明治政府と称す方々の神仏分離令の危機に、羽黒大権現の額と参道の鳥居の笠を下ろす対策が功を奏したということだったということのようだ。
 境内配置図でその風景を想像する。
by shingen1948 | 2016-03-09 08:42 | Comments(0)