人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

信夫山散歩情報の確かめ~羽黒権現

 羽黒宮の建築にかかわって「2代目金子周助建立伝の神社~羽黒神社にかかわることの誇りから」を整理した際、羽黒神社は次のような神社とした。
 http://kazenoshin.exblog.jp/19334775/
 信夫山は、古代から神が宿る神聖な山と崇められてきたという。中世には、神仏混合し修験僧修験の場として発展したそうだ。
 その信夫三山の一つである羽黒山と称される一角に、羽黒神社は鎮座し、信夫の里の中心的な信仰的の拠点の一つとなっている。歴史代領主からも崇敬の対象となっていたという。
 それが明治初頭の神仏分離令によって別当寺院と分離し、現在は麓にある黒沼神社の摂社となっているらしい。この事とかかわって仁王門は撤去されたのだろうと思われる。更に、その御神体だった渟中倉太珠敷命の聖観音像は、別当寺を引き継いだとされる真浄院に移されたという。
 今回の表題を羽黒権現としたこととかかわって気になっているのが、この中の「御神体」の部分だ。
 この整理では、言い伝えに沿って真上院に引き継がれたとするご神体は「渟中倉太珠敷命の聖観音像」としている。
 その「聖観音像」の部分は、羽黒権現の本地仏は聖観音なのですんなりと理解できる。ただ、「渟中倉太珠敷命の聖観音像」だという「「渟中倉太珠敷命」の部分は、本当はよく分かっていないような気がしている。
 今のところは、よく羽黒神社の創建にかかわって次のような言い伝えが紹介されるのだが、この事とかかわるのだろうと勝手に想像している。
 欽明天皇の代に王位継承の内乱が起こり、后である石姫命が皇子 渟中太命を伴いこの地に逃れてきました。2人共この地で亡くなった事から石姫命を黒沼大神、渟中太命を羽黒神として後世まで祀ったと伝えられています。
 現在、この羽黒神社は黒沼神社の摂社となっているとの事なので、その事との関連付けた創建話なのではないのかなと思うのだが、どうだろうか。

 「別当寺を引き継いだとされる真浄院」とした部分だが、言い伝えでは、伊達政宗公と共に、寂光寺に伴って羽黒権現も仙台城下町に移るのだが、この時に分霊を勧請し、新たに羽黒神社を建立したのだそうだ。この時に、その別当寺になったのが真浄院だったとされるようなのだ。

 そこまでは、自分なりの解釈で分かった気もするのだが、よく分からないのが、明治初頭の神仏分離令で「渟中倉太珠敷命の聖観音像」が真上院に移されてしまった後、参拝者はどなた或は何に祈っているのかなということ。これは、ちょっと不謹慎かな。
by shingen1948 | 2016-03-07 08:39 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)