地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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仙台に移った「青葉山寂光寺」の確かめの中で~「金剛山輪王寺」

 北山の寂光寺の北側が「輪王寺」であることが気になったのは、この寺も伊達の里から移った寺のはずだと思ったからだ。「金剛山輪王寺」のホームページで、その歴史を確かめると、その開山について、次のように記される。
 輪王寺の開山 (1441年)
 輪王寺は、嘉吉元年(1441年)、伊達家9世政宗の夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、11世持宗が、太菴梵守和尚を開山として、福島県梁川に創建されました。
 政宗夫人は、3代将軍足利義満の生母の妹に当たるため、6代将軍義教は、後花園天皇に奏請し、「金剛寳山輪王禅寺」の額を賜りました。
 「福島県梁川に創建」とあり、現伊達市梁川の輪王寺跡に創建された寺であることに間違いなさそうであることが分かる。
 その現伊達市梁川の輪王寺跡には2011年に訪ねて整理している。
 梁川城の発掘調査現地説明会に出かけた折に散策の足を延ばしたもので、「梁川城現地説明会に出かける~輪王寺跡」として整理している。
 〇 「梁川城現地説明会に出かける~輪王寺跡」
 http://kazenoshin.exblog.jp/14181961/
 〇 「梁川城現地説明会に出かける~輪王寺跡②」
 http://kazenoshin.exblog.jp/14188699/
 輪王寺は、その後伊達氏の移動に伴って桑折西山→米沢→ 会津→米沢→岩出山→仙台と移転してきたという。それを「金剛山輪王寺」のホームページでは、「輪王寺の六遷(1532年~1602年)」と紹介する。
 仙台の地に移るのは、「青葉山寂光寺」と同じ慶長7年(1602年)で、17世の政宗公の時だ。

 ここに2人の政宗公が登場している。
 創建所願の蘭庭明玉禅尼は伊達家9世政宗公の夫人である。その伊達家9世政宗公は、伊達家中興の祖といわれる政宗公であり、「独眼竜」として知られるのは伊達家17世政宗公だ。
 9代政宗公は、文武の才に恵まれ、和歌も堪能で、「山家の霧」と題する歌がよく知られているとされる。また、「金剛山輪王寺」のホームページが紹介するように、彼の妻が室町幕府3代将軍足利義満の叔母にあたり、中央との繋がりが強かったようだ。
 応永9年(1402)に領地の割譲を求めてきた関東公方に対して、長倉館(伊達市館ノ内)や桑折赤館で反抗したが及ばず、会津方面へ逃れたという政宗公は、この9代政宗公のようだ。
 なお、9代政宗公の代には、本領である伊達郡の他、伊具郡、刈田郡、柴田郡(宮城県)、長井郡(山形県)も伊達領だったのだとか。

 この9代政宗公の墓と伝わる石塔や寺号である「儀山東光寺殿」と書かれた位牌が保原町柱田の東光寺にあるとのことで、出かけたことがある。そのことについては、「9代伊達政宗の東光寺」として整理した。ただ、石塔の家紋が丸に横三つ引き両で、伊達家の紋は丸に竪三つ引き両と合わないので、疑問が残るとの情報もある。
 http://kazenoshin.exblog.jp/10822810/
 17代政宗公の名は、この9代政宗公にあやかって付けられたといわれているという。
by shingen1948 | 2016-03-06 09:16 | Comments(0)