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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺⑬

 今回は、慶長7年に信夫郡の青葉山(信夫山)から仙台城本丸傍に移った「青葉山寂光寺」について、その行方を追ってみた。
 仙台城本丸傍に移った「青葉山寂光寺」は、「御本丸御移の節」に北山に移転した(実際には、寛永 15 年(1638)に青葉城二の丸普請が開始される時に移動とされる)。その北山の寂光寺及び羽黒神社については、【仙台人が仙台を好きになるブログ】の「北山 寂光寺の参道はここにあった」という記事情報を参考に整理した。
 http://kumagai-ya.co.jp/blog/2093
 「要説宮城の郷土誌【仙台市図書館】」によれば、北山に移った寂光寺は、幕末に至るまで羽黒堂の別当寺として存在していたのだが、明治初年に伊達家の外護を失って廃寺となり、「十二軒丁弥勒院」に合併されたとのことだった。
 それで、「十二軒丁弥勒院」がどこかを確認するために仙台の情報をいろいろと探った。この十二軒丁辺りは道筋の改変が激しくて、よそ者の散歩人にはなかなか分かりづらいところがあった。そのうちに、この道筋の改変は「へくり沢」越えの変遷によることが分かったので、その「へくり沢」越えの情報を確認していた。
 そうしたら、めぐり巡って仙台のお菓子屋さん「熊谷屋」のブログ【仙台人が仙台を好きになるブログ】にまたしても辿り着いたのだ。
 この「へくり沢」散歩情報を確認する中で、八幡町の弥勒院が「十二軒丁弥勒院」であろうということに確信が持てたということだ。
 実は、この「へくり沢」散歩情報は、前々から散歩の仕方の参考にさせていただいていたのだが、これが仙台の寂光寺の情報探しに直接かかわるとは思っていなかったのだ。

 「十二軒丁弥勒院」の位置情報に確信が持てたのは、「へくり沢」越えの道筋の変遷が分かりかけたところだったということで、その「へくり沢」越えの道筋の変遷について読み取ったことを整理しておく。
a0087378_645954.png この地図は、地図に確実に古くから存在していたと思われる道筋を赤線で記し、曖昧さはあるが多分古い道筋に近いかなと思う道筋を紫線で書き加えたものだ。
 まず、寛永20年(1643)へくり沢に土橋ができて、土橋通りと中島丁の道筋がつながったようだ。
 次に、その土橋あたりから十二軒丁へ通じる道がつくられるのが、明暦2年(1682)とのことだ。
 更に、元禄年間初期には、へくり沢沿いに南下する道ができ、元禄8年(1695)には、その道筋の先には川内に渡る澱橋がかけられて、その北側から東に曲がる新坂の道筋が、土橋通りの東側の道筋とつながるようだ。
 ここまでが、自分なりに読み取った古い時代のへくり沢越えの道筋変遷だ。現在は、北三番丁と十二軒丁をまっすぐに繋がった道筋に、澱橋から土橋に繋がる道を丁字に接続しているのだが、このようになるのは明治初期とのことだ。

 参考にさせていただいた【仙台人が仙台を好きになるブログ】の「へくり沢」タグのページをつながせていただく。
 http://kumagai-ya.co.jp/blog/tag/%e3%81%b8%e3%81%8f%e3%82%8a%e6%b2%a2
by shingen1948 | 2016-03-05 08:39 | Comments(0)