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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺⑫

 昨日は、「弥勒院」が明治元年(1868)移転とすることに違和感を持ちながら確認の手段を持ち合わせていないとした。それが、偶然なのだが、天明6年(1786)から寛政元年(1789)にかけての「仙台城下絵図」を見ていたら、現在地に「弥勒院」がプロットされているのをみつけた。
 ここからは勝手な想像でしかないが、この「弥勒院」が、元々は川内に「弥勒院」が存在していたということなら、「青葉山寂光寺」同様に「御本丸御移の節」に北山に移転されたものと想像した方が自然であるように思われるが、どうだろうか(実際には、寛永 15 年(1638)に青葉城二の丸普請が開始される時)。少なくとも江戸時代には、「弥勒院」は現在地に存在していたということで、明治元年(1868)移転ではないということは確実だと思う。
 「弥勒院」にとって、明治元年(1868)の大きな出来事は、「弥勒院」が伊達氏の庇護を受けていた「青葉山寂光寺」を吸収合併したことなのではないのだろうか。

 このあたりには大きな沢があって、それを超えるための道筋の変遷が激しい。地元の方にとってはそうでもないのだろうが、そのために他所者には分かりづらい地形なのだ。
信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺⑫_a0087378_7185573.png それで、北山の寂光寺跡を確認する時にもお世話になった【仙台人が仙台を好きになるブログ】という仙台のお菓子屋さん「熊谷屋」のブログを参考にさせていただいて、「十二軒丁」あたりのイメージを確認した。
 そのおおよその読み取りを地図上に整理してみた。
 大きな沢が、「へつり沢」というらしい。そのおおよその位置を水色の線で記してみた。紫の線で記したのが少なくとも江戸時代あたりからの古い道筋。赤い線で記したのが新しい道筋。古くから「へつり沢」内に、そこを流れる川筋に沿った道筋があったようだが、それは現在も残っているらしい。

 「土橋通り」の角に案内柱があり、「土橋通り」と「十二軒丁」が案内される。ここで案内される「十二軒丁」は、新しく開通した道筋のようだ。古い道筋は、現在は一部廃道になっている愛宕神社や弥勒院の元参道が面していた道筋らしいことは、先に記した。
 「土橋通り」というのは、この道筋の先に「へつり沢」を渡って対岸に通じる土橋がかかっていたことによるらしい。ただ、現在は川内に向かう南北に走る新しい道筋がこのへつり沢を渡る辺りのイメージを重ねている感じのようだ。
by shingen1948 | 2016-03-03 09:14 | Comments(0)