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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺⑪

 「十二軒丁弥勒院」についての情報を、「時の散歩/仙台寺社巡り」からお借りする。
 http://www3.plala.or.jp/gameticket/index.html#top
 真言宗智山派。慶長6年(1601)開山。以前は川内扇坂にあったが,明治元年(1868)現在地に移転した。(青葉の散歩手帖)
 本尊は弥勒菩薩であったが火災で焼失し,現在は大日如来像。境内に嵯峨天皇による曼荼羅経文一巻が納められた宝篋印塔がある。(杜の散歩道)
 出典とする「青葉の散歩手帖」も「杜の散歩道」も確認はしていない。
 川内扇坂に慶長6年(1601)開山なら、ほぼ「青葉山寂光寺」及び「羽黒社」と似たような経緯をたどっているように思える。その位置が川内扇坂ということなら、青葉城二の丸の北東側ということか。二の丸の南側にあったと想像される「青葉山寂光寺」とは二の丸を挟んで対峙する位置のようだ。
a0087378_7392989.png 地図上に、青葉城の本丸跡、二の丸跡、三の丸跡と「青葉山寂光寺跡」のおおよその位置を記し、そこに、交差点角にある辻標に案内される「行人坂」と「扇坂」を表記する。この地図を眺めながら、川内にあったという十二軒丁弥勒院」のおおよその位置を想像してみる。
 行人坂
 行人坂は、二の丸北裏にあった御裏池から広瀬川へ注ぐ千貫沢の北にあり川内山屋敷へ続く坂。坂を登り詰めた所の南側に榎の老木があり、昔この地に庵を結んだ行人の塚があったのでこの名が付いたという。
 現在は扇坂と呼ばれているが、二の丸登城口であった本来の扇坂は沢の南側にあり現在は廃道となっている。
 仙台城築城以前は、国分氏の山城「千代城」が現在の本丸跡の地に出城程度の山城があったと想像されているという。それよりは、この辺りは山岳仏教の修業の場所であり、山岳仏教の寺院がいくつか建っていたという雰囲気だったとの想像のようだ。その想像と重なるように思う。
 違和感は、移転時期だ。「青葉山寂光寺」は、「御本丸御移の節」に北山に移転する(実際には、寛永 15 年(1638)に青葉城二の丸普請が開始される時に移動とされる)。
 明治元年(1868)移転なから、「弥勒院」はこの時点では川内扇坂に残り続けることができたとうことになるが、その確認の手段を持ち合わせていない。
by shingen1948 | 2016-03-01 09:35 | Comments(0)