人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺⑪

 信夫山から仙台に移った青葉山寂光寺と羽黒社は、寛永 15 年(1638)頃、仙台城本丸傍から北山に移る。北山に移った羽黒社は、現在も羽黒神社として同寺の境内に存続し続け、北山附近住民の鎮守として祀られているとのことだ。
 北山に移された寂光寺の方だが、幕末に至るまで羽黒堂の別当寺として存在していたのだが、明治初年に伊達家の外護を失って廃寺となり、十二軒丁弥勒院に合併されたとのことだった(要説宮城の郷土誌【仙台市図書館】)。

 その「十二軒丁弥勒院」はどこなのかというところまで確認しておこうと思ったのは、羽黒権現の本地仏観音像の情報を見ないからだ。信夫山時代の羽黒権現の本地仏観音像は、現在真浄院に遷座されている。ならば、信夫山から仙台に移った時点で、新たな羽黒権現の本地仏観音像が存在していたのではないかと思うのだ。
 これがあやふやになる時点は、明治の神仏分離政策による廃仏毀釈時に廃寺となる時点だ。可能性として考えられるのは、次の三つの場合。
 その一、明治の神仏分離政策による廃仏毀釈時点で消滅あるいは行方不明になること。
 その二、羽黒神社に残る、
 その三、合併された十二軒丁弥勒院に移る。
a0087378_6432810.png 確からしさを確認するのに手間取ったが、「十二軒丁弥勒院」は、仙台市青葉区八幡にプロットされるこの彌勒院のことらしいことが分かった。
 宮城第一高と作並街道の間の赤でなぞった道筋は古い道筋で、古くは彌勒院の参道はこちら側から延びていたのだとか。その道筋を進んで、彌勒院の右手の赤丸で囲った辺りに十二軒の屋敷があって、これが十二軒丁の語源となっているということらしいのだ。
 この辺り、その十二軒の屋敷の右手の沢を越えるための道筋が激しく改変されているようで、こちらの確認に手間取った。
by shingen1948 | 2016-02-29 08:41 | Comments(0)