地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺⑩

 北山羽黒神社の散策記事を見ると、本地仏についての情報はみないが、境内は仏教的な雰囲気は残っているらしいことが分かる。境内には「同社因縁記(享保元年<1716>記」という案内板があり、次のように解説されるようだ。
 同社因縁記(享保元年<1716>記

 保春院殿が嗣子なきを憂え、長海上人を湯殿山に参籠させた所、夢枕に立った偉僧の梵天を宿して生まれたのが政宗公と記される。
偉僧は、湯殿山初代の行者萬海上人で、その弟子長海上人と慶印上人とが、師の生まれかわりの政宗公が慶長五年(1600、関ヶ原の年)上杉軍と戦った折、大いに助勢した功をめでて慶印上人を羽黒神社開祖とした。
 病める者も、十中九は立ち所に治るなど霊験あらたかであると因縁記は述べている。
 この解説は、出羽三山とその信仰についての知識を有することを前提にしているようだ。「ウィキペディア」で、羽黒山信仰を中心に、その概要を確認する。
 まず、出羽三山だが、これは山形県の村山、庄内地方に広がる月山・羽黒山・湯殿山の総称。
 羽黒山信仰だが、その三山(月山・羽黒山・湯殿山)の修験道を中心とした山岳信仰の一つだ。その祭神は山岳宗教と修験道が融合した神仏習合の本地仏であり、明治維新までは多くの宗派によって奉仕されていたという。
 次に、本地仏だが、羽黒山信仰の祭神が観音菩薩を本地仏とすることについては先にふれた。
 月山の本地仏は、阿弥陀如来なそうだ(室町時代までは八幡大菩薩とされていたという)。ただ、湯殿山は山自体に神が鎮まるものとているといいつつ、それらを超えて大日如来という別格だとの言い方もみる。
 更に、それぞれ別当寺だが、羽黒山は寂光寺で、明治の神仏分離政策による廃仏毀釈時に廃寺となることも先に記した。
 月山は日月寺で、こちらも明治の神仏分離政策に廃寺となるようだ。湯殿山はちょっと複雑で、本道寺、大日坊、注連寺、大日寺が別当寺だったようだが、大日坊と注連寺は真言宗寺院として湯殿山から独立して現存するという。また、本道寺と大日寺の二寺は廃寺となるが、神社になって残ったという。本道寺が口之宮湯殿山で、大日寺が大日寺跡湯殿山なのだとか。

 これらの情報と同社因縁記(享保元年<1716>記の情報とを見比べると、湯殿山の初代行者萬海上人という偉僧の弟子に、長海上人と慶印上人がいらっしゃって、その慶印上人が、羽黒社の開祖者となったと読み取れる。
 これが史実なのか伝説なのかは分からないが、その前後の文脈からは、信夫山の羽黒社及び寂光院の開祖もこの慶印上人といっているようにも思えるが、どうだろうか。
 そうなると、「封内風土記(田辺希文)」の「有中興開祖慶印上人之墓。今日之行人塚」も気になるが、こちらもよくわからない。
by shingen1948 | 2016-02-28 09:09 | Comments(0)