地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺⑨

 北山羽黒神社は現存し、その旧拝殿は「北山羽黒神社境内社」として仙台市の指定・登録文化財になっているという。
 仙台市のホームページでは、「北山羽黒神社境内社」について次のように解説している。
 http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/database/c02603.html
 「境内社として残された江戸時代後期の旧拝殿「北山羽黒神社境内社」
 北山羽黒神社は、仙台藩初代藩主伊達政宗が慶長7年(1602)に福島県信夫郡より分祀してきたものと伝える。仙台市登録文化財となっている北山羽黒神社境内社は、かつて当社の拝殿であったが、昭和45年(1970)の新築の際に移築され、境内社として残されたものである。入母屋造(いりもやづくり)桟瓦葺で、桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)二間、三方に縁を廻らし、一間の向拝(こうはい)が付く。江戸時代後期の建立と思われる。
 ここでは、「江戸時代後期の建立と思われる」とあるが、別情報として「火災を受けて寛文10年(1670)4代綱村が再建した」とする推定するものも見る。
 この旧拝殿「北山羽黒神社境内社」には、現在、月山神社・湯殿山神社の額が掲げられているという。

 境内には「同社因縁記(享保元年<1716>記」という案内板があり、その解説では羽黒神社開祖を慶印上人とするようだが、これは当然寂光寺開祖ともかかわるのだろうと推定される。そのうち、「政宗公が慶長五年(1600、関ヶ原の年)上杉軍と戦った折、大いに助勢した功をめでて慶印上人を羽黒神社開祖とした」という部分が、寂光寺と羽黒社が信夫山から仙台に移った理由の解説部分かな。
 この解説を読み取るのには「羽黒権現」についての予備知識が必要だ。ウィキペディアで、「羽黒権現」を確かめると次のように解説される。
 羽黒権現は出羽国羽黒山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、観音菩薩を本地仏とする。出羽三所大権現の一つである。羽黒大権現とも羽黒山大権現とも呼ばれた。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、羽黒山寂光寺から勧請された全国の羽黒権現社で祀られた。
 「観音菩薩を本地仏とする」とする部分が、信夫山の「羽黒権現」の本地仏とされることと重なる情報だ。この本地仏は、明治政府の神仏分離令による廃仏毀釈の難に遭って、後年処々の事情のある中、真浄院に遷座されたという。60年に一度の御開帳とのことで、次回が2031年なのだとか。
by shingen1948 | 2016-02-25 10:38 | Comments(0)