地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺⑦

 先にも引用した「要説宮城の郷土誌【仙台市図書館】」の「いつ頃から『青葉山』と呼び始めたか」の項の注7では、寂光寺が青葉山から北山に移動した時期について言及している。
 慶長 7 年(1602)に本丸がほぼ竣工し、福島から仙台城本丸傍に移された寂光寺(羽黒堂も附随)が北山に移される正確な時期は不明であるとする。その上で、その時期的な範囲を次のように絞る。
 「御本丸御移の節」を二の丸構築を指したものとし、その普請が開始された寛永 15 年(1638)を降るものでないことは、二の丸の殿舎布置の状態から断定できることであるとする。
 「正確な時期は不明」とするのは、このことにかかわる文書での記録がないからだ。「寛永 15 年(1638)を降るものでない」とするのは、「正保二・三年(1645・46)製作仙台城絵図」での確認のようだ。
 「正保二・三年(1645・46)製作仙台城絵図」は、時代的に直近とされる資料だ。この図に羽黒堂が北山の地に見えているという。この時期に羽黒堂が北山の地に移動になっているとすれば、寛永 15 年北山移遷説が資料的に補強されたということになるということらしい。
 言い回しがくどいのは、確からしさについての考察がはいるからだ。それを除いて簡単にいえば、「(青葉城の本丸は、慶長 7 年(1602)にほぼ竣工するが、) 寂光寺と羽黒堂が青葉山から北山に移されるのは、寛永 15 年(1638)に青葉城二の丸普請が開始される時だ」ということのようだ。

 北山に移された寂光寺は、羽黒堂の別当寺として幕末に至るが、明治初年に伊達家の外護を失って廃寺となって、十二軒丁弥勒院に合併されたとのことで現存しない。しかし、羽黒社の方は現在も羽黒神社として同寺の境内に存続し続け、北山附近住民の鎮守として祀られているとのこと。
 この北山羽黒神社が、北山に移遷された寂光寺の位置情報の目安になる。
by shingen1948 | 2016-02-22 08:58 | Comments(0)