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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺⑥

 蒙古の碑から残月亭跡を経て西に進む「最上古街道跡」は、植物園の案内図では平面図でその高低が読めないが、最上古街道を地図に落とした図を見ると、その道筋は尾根伝いの道であることが分かる。
 実際に園内を「最上道」に沿って散策した方の情報を確認する。
 園内の各ポイント地点には案内板が建っているらしい。「最上道」沿いには「蒙古の碑と青葉山の碑」→「残月亭跡」→「最上古街道跡」の説明板が建っているという。その中の「最上古街道跡」説明板が、青葉山寂光寺についてふれているようだ。
 「civileの気まぐれ山行記」の「初冬の最上古道を行く」のページに掲げられた写真からその案内内容を読み取らせていただいた。
 http://blog.livedoor.jp/civil_e_j/archives/54312229.html
 「最上古街道跡」
 享保8年(1723)『仙台萩古地誌』には仙台城の虎の門辺りから植物園の正門付近を経て、愛子方面に通じる最上古街道があったと記されている。
 蒙古の碑はその沿道に建てられたもので、みちしるべ石でもあったと言われている。また、残月亭跡の付近に、後で北山に移された青葉山寂光寺があって、蒙古の碑はその門前にあったとも言われているが、その辺りの痕跡ははっきりしない。
 植物園では、この尾根道が最上古街道に相当するものと判断し、この道に最上古街道と名づけ、当時の街道の名を残している」
 最上古街道そのものも興味深いが欲張らず、今回は 「青葉山寂光寺」に焦点を絞る。
 案内から読み取れるのは、
 ①最上古街道沿いの残月亭跡の付近に寂光寺があること。
 ②その門前には最上古街道の道しるべでもあった「蒙古の碑」が在ったということだ。
 これは、昨日「青葉山寂光寺」の位置を「残月亭跡」と「二の丸」の間に想像し直したこととも矛盾しない。

 「残月台本荒荻」に「御本丸御移の節、右の寂光寺を北山に移し」とあるように、ここから寂光寺は北山に移動になる。次の整理とのかかわりで「後で北山に移された青葉山寂光寺」も意識しながら資料を眺めていると、この青葉山でも羽黒堂も附随していたらしいことが伺える。
 先にも引用した「要説宮城の郷土誌【仙台市図書館】」の「いつ頃から『青葉山』と呼び始めたか」の項の注7では、その移動時期についても言及している。
by shingen1948 | 2016-02-21 09:07 | Comments(0)