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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺④

 「信夫山散歩情報の確かめ~寂光寺②」で、「青葉山」初出地図「正保3.4年〔1645 ・1646〕仙台城絵図」は確認できないとしたところだった。その写真版が、仙台市文化財調査報告書第270号「仙台城跡3(平成15年度調査報告書)【2004年3月 仙台市教育委員会】」に掲載されているのをみつけて、その確認ができた。先に「仙台市史特別篇7『城館』付録正保2年(1645)『奥州仙台城絵図』とした資料も、この「正保3.4年〔1645 ・1646〕仙台城絵図」であることも分かった。

 さて、青葉山寂光寺が慶長 7 年(1602)に仙台に移された位置情報だが、「封内風土記.」からは「在城北」が拾える。その近くに「有中興開祖慶印上人之墓。今日之行人塚。」の遺跡らしきものがあるのかもしれないとの期待も……。「残月台本荒荻」からは、「残月亭の南脇御二ノ丸の間」が読み取れ、「御本丸御移の節」に、再び北山に移ったことが読み取れる。

 「残月亭跡」が、現在の東北大学植物園内にあることは、植物園のホームページ解説で確認できる。
 ただ、気になることは、東北大学植物園が二の丸跡の南側にあることだ。これは、「残月台本荒荻」が「残月亭の南脇御二ノ丸の間」とする情報と矛盾するような気がするのだ。残月亭の南脇で御二ノ丸との間に青葉山寂光寺が在るのなら、「残月亭」は「二の丸」の北側にあった筈ということになる。
 この事についての解説を見ないので、ここからは勝手な想像二つ。
 その一つが、東北大学植物園の御裏林を二の丸の縁と見れば、概念的にはここも二の丸と見える。ならば、案内される「残月亭跡」と「御裏林」の間に「青葉山寂光寺」があったとみる。
 もう一つが、政宗時代の残月亭の場所や真筆の扁額の所在は不明とされる情報を組み合わせる。東北大学植物園の御裏林を二の丸の縁と見ることをそのままにして二の丸跡も眺める。その北縁付近に政宗時代の残月亭を想像し、「残月亭跡」はこれを「残月亭」といっていると想像する。これならば、先の想像よりも二の丸よりに青葉山寂光寺の想像ができる。

 「要説宮城の郷土誌【仙台市図書館】」によれば、「残月台本荒荻」がなるのは、仙台城築城の時から 170 年経過した安永 8 年(1779)の編著といわれるとのこと。そして、東北大学植物園内の「残月亭跡」は、宝永7年(1710)に第五代藩主伊達吉村によって建てられた茶室である。
 このことを考慮すれば、「残月台本荒荻」がいう「残月亭」は、東北大学植物園内の「残月亭跡」に建っていたものを指している可能性が高いのではないかと勝手に想像する。
 ということで、先の想像である植物園内「残月亭跡」と「御裏林」の間に「青葉山寂光寺」があったとの勝手な見方をしておくことにする。
by shingen1948 | 2016-02-18 08:58 | Comments(0)